2011年02月11日発行 1169号
【ロンドン反戦通信 「あんたの嘘で息子は死んだ」 イラク検証委にブレア再喚問】
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「ブレアは暗闇に乗じて忍び入り、人々は憤って抗議する―イラク戦争調査証人喚問」。これは、保守寄りとして知られたデイリー・メール紙の記事タイトル
だ。本文では「証言開始予定の2時間以上前、ストップ戦争連合STWや核軍縮運動CNDが抗議を始めるはるか前に、ブレア氏はこっそり喚問会場に入って
いった…」等と説明している。一時はこの右派新聞の「支持」さえとりつけたトニー・ブレアだったが、今では全く見放されてしまったようだ。
事実を隠す政府
1月21日、ジョン・チルコット卿が委員長を務めるイラク検証委員会の証人喚問席にブレア元首相が再び座った(前回は昨年1月29日。当欄第70回等で既
報)。「証言台に立つ」のではなく「座る」のは、容疑者扱いではない、という検証委員会の配慮である。イラク開戦前にブレアが法的助言を無視していたかど
うか、当時の米大統領ブッシュに何を書き送っていたのか、等が焦点となっていた。だが、この検証委員会証言では偽証罪に問われることも有罪になることもな
いと承知しているブレアは、肝心の問いには答えず自説の開陳に努めた。聴取する委員会メンバーに「分かるだろう?」「そうだろう?」と同意を促しながら熱
弁する態度は、被告人とは程遠かった。
ブレアにとって心強いことに、内閣官房長官ガス・オドネル卿が援軍として介入し、ブレアがブッシュとの間で交わした書簡や会話を公開しない、と喚問直前
(3日前)に決定していた。戦争に賛同した保守党と反対したはずの自民党もこの書簡非公開方針に異を唱えなかった。安心したブレアはこともあろうに、英首
相という立場で米大統領と交わした書簡を「とても『私的』なもので公開されるべきではない」などと強弁した。
実はこの書簡、委員会内部では開示済みだ。だから「これら資料は、ブレアが法的助言を無視していたこと、内閣にも国会にも説明しないままブッシュ大統領に
初期段階で確約を与えていたこと、等を示唆している」と書く記者もおり、ウィキリークスでの内部情報暴露を呼びかける声もあがっている。
チルコット委員会(前政権が構成メンバー全員を指名)への反戦運動の評価は、依然として「事実の隠蔽策」である。検証の方法、委員の選定と権限、政府か
らの独立こそが重要であって、検証ならなんでも良しというわけにはいかない、という立場だ。
変化があったとすれば、ブレアの忠臣やメディアの一層の離反だ。元法務長官他、当時要職にあった面々が委員会に召喚されてはブレアに不利な暴露証言。そん
な流れの変化を感じているのかもしれない。200万人の反戦デモさえ無視したブレアが、去年の回想録『旅』の出版の際には、サイン会も出版記念パーティー
も「抗議のおそれ」の前に中止してしまった。
犯罪者は牢獄へ
そして今回とうとう、6時間にわたる証言の最後になって、去年の証言では「後悔はない」と居直っていたブレアが、これまで7年に渡って一切謝罪を拒否し
てきたこの人物が、ようやく言った。「もちろん私は後悔している。深く心の底から。人命が失われたことについて」。だがその瞬間、傍聴席(その半分以上を
占めたのは戦死兵遺族たち)から聞こえてきたのは「遅すぎた」というつぶやきのコーラス。ブレアが証言台を去る時には「あんたの嘘で息子が死んだのよ!」
「あたしらと目をあわすこともできないの?」「政府と国の面汚し!」と罵声が飛んだ。この遺族の声や抗議行動をメディアもきちんと報道した。
会場外では、もう一人のブレア(のお面を被った抗議者)が鉄格子の中にいた。牢獄の表示は「侵略戦争の遂行は究極の国際犯罪」というニュルンベルグ裁判
の判決。ブレアの『旅』の終わりには国際刑事裁判所こそがふさわしい、という意思表示だった。
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