2012年07月06日発行 1238号

【非国民がやってきた!(137)〜泣くのは嫌だ 笑っちゃおう(9)】

――山形上空を回遊する空飛ぶ絨毯の上で、偽モッキンポット師が「ラ・マルセイエーズ」のメ ロディに乗せて歌う(本人はサルバトーレ・アダモの声のつもりだが、むしろ越路吹雪に似ている)。

偽モッキンポット師――いそじん、おぞ、おろないん、きしろ、きずあわわ、きずどらい、きんかん、くらしえ、こ〜ふる、たいつこう、とふめる、まきろん、 虫に刺されてめんた〜む、涙堪えてかっとばん、一息ついてま〜きゅろばん。ばばんば、ばんばんばん、い〜い薬だな。

偽フン――フランス語のおまじないは変わってるな。

偽博士――蚊に刺された時は、バシっと叩くのが一番ですよ。それに、ひさし先生はてんぷくトリオの座付作者でした。ドリフターズじゃありません。

偽モッキンポット師――すんまへん。せやけど、博士、わてらいつまでこんなことやってるんやろ。冗談かましてばっかりや。編集者や読者もそろそろ限界ちゃ うか。

偽博士――そうですね。そろそろ連載打ち切りになるかもしれません。

偽ドン・ガバチョ――(絨毯から突然顔だけ出して、藤村有弘の声で)そ〜れは困ります。わたくしドン・ガバチョの出番がま〜だなのに、連載打ち切りになっ たりしたら、今まで楽屋でおとなしく我慢して待っていたのは一体何のためでありましょうか。そ〜もそもわたくしドン・ガバチョ抜きで話を進めてきたの が・・・(モッキンポット師がドン・ガバチョの顔を絨毯に押し戻す)

偽博士――とにかく、非国民シリーズらしく「井上ひさし先生と非国民」について、その少年時代を振り返ることにしましょう。

偽フン――そもそも父親が非国民だったらしい。

偽モッキンポット師――ただの薬屋が売れへん小説書いただけやろ。

偽フン――文学作品としての価値は、売れる、売れないでは決まらん。

偽モッキンポット師――売れへん時代が続いたおまはんの言い訳やな。

偽博士――ひさし先生の父・井上修吉さんは、小松滋のペンネームで執筆するとともに、地元の文化運動でも活躍されました。ひさし先生によると「うちの父親 は、山形南部で『戦旗』や『赤旗』の秘密頒布員でした。正体隠しに黎明という劇団をつくって、その活動を通して『戦旗』や『赤旗』を配っていた。その頃は 日本全国で似たようなことが起こっていて、たとえば北九州では松本清張さんが文学仲間と『文芸戦線』や『戦旗』を購読していたというだけで検挙され拷問を 受けています(1929年)。うちの父親も前後3回、検挙され、最後は、背中を拷問されて脊髄をやられて死んでしまう」ということです。

偽モッキンポット師――初耳やな。そんなことな〜んもゆうてへんかったで。

偽フン――2009年になって明かした秘密らしい。かなり脚色してるかもしれないな。

偽博士――フン先生のように1を100に誇大広告したりしませんてば。

偽フン――1を100とは失礼な。1を1万と言ってもらいたい。

偽博士――フン先生には勝てません(笑)。それで、井上修吉さんは『戦旗』にも文章を掲載しています。

偽モッキンポット師――その『戦旗』ってなんや。

偽博士――1928年から1931年にかけて発行された、ナップの機関紙で、プロレタリア文学の雑誌です。

偽モッキンポット師――貧しくて菜っ葉しか食えんかったんやな。可哀そうに。

偽博士――ナップとは全日本無産者芸術連盟のことです。『戦旗』には、小林多喜二の『1928年3月15日』『蟹工船』や、徳永直の『太陽のない街』など のプロレタリア文学の代表作が発表されました。

偽モッキンポット師――な〜んや、きな臭い話になってきたな。小松青年の父親はアカやったんか。

偽フン――労働者をはじめとする無産者の権利闘争じゃ。ナップは弾圧されながらも1931年にコップに発展していった。

偽モッキンポット師――コップ酒しか呑めへんかったんか。可哀そうにな。もっとも、日本に来たばっかりに、ヴォーヌ・ロマネのロマネ・コンティを毎日呑め へんのやから、わても可哀そう言うたら可哀そうや。

偽博士――コップとは日本プロレタリア文化連盟です。

偽モッキンポット師――要するに共産党の別働隊やろ。

偽フン――そりゃ共産党員もたくさんいただろう。プロレタリアの権利闘争を組織化したんだから。

偽モッキンポット師――(キッとなって)共産主義は敵や。マルクスって奴はな、宗教を侮辱しよったんや。

<参考文献>
対談「こまつ座25周年」『悲劇喜劇』2009年12月号
笹沢信『ひさし伝』(新潮社、2012年)
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