2012年07月20日発行 1240号

【非国民がやってきた!(138)  泣くのは嫌だ 笑っちゃおう(10)】

 ――山形上空を回遊する空飛ぶ絨毯で会話が続く。

偽博士――井上修吉さんは『戦旗』に「プリントの書き方」という文章を掲載しています。

偽モッキンポット師――プリントの書き方を勉強中やったんか。

偽博士――違います。読者のために書き方の指導をしたのです。

偽フン――どんな文章かな。

偽博士――「二月号の『赤い隅』欄に、東京一労働者氏に依つてプリントの書き方が質問されてゐたから、茲に一般的な謄写版術を述べてみやう」と始まってい ますから、『戦旗』編集部から執筆依頼があったのではないでしょうか。山形にいた井上修吉さんに、『戦旗』編集部が依頼したということは、山形だけでな く、プロレタリア文学の世界で知られていたことだと思います。

偽フン――そうだろうな。もっとも、プロレタリア作家は僅かしかいなかったから、当たり前と言えば当たり前かもしれん。

偽モッキンポット師――「赤い隅」やて。隅々まで真っ赤やな。その頃、日本にプロレタリア作家とかマルクス主義者とかいう連中、どんくらいおったんや。

偽フン――雑誌に活字を残したのは本当にごくごく少数だろう。

偽モッキンポット師――信心深くて高貴な精神のキリスト者とどっちが多かったんやろ。

偽フン――さ〜て、信者は仰山でも、信心深くて高貴かどうかは、だれにも分らん。

偽モッキンポット師――わての前で信者をくささんといてや。

偽フン――そりゃ失礼。

偽博士――当時はみな謄写版で印刷していましたから、上手に謄写版を活用する必要がありました。こういう風に書かれています。「一つの、小さい謄写版であ る。争議ニュウスを刷つてゐる処へガサの不意打を食つたとしても、遅鈍な×達が××をがちやつかせて上つて来る頃には、既に我々は謄写版を小脇に抱えて、 次の安全地帯へと跡白波なのである。それは天井裏でかゞみながら刷ることも出来るし、田圃の藪の中でロケーションと洒落込むことさへ出来る」。

偽フン――「遅鈍な×達が××をがちやつかせて」か。この伏字はどう読むのかな。

偽モッキンポット師――最初は「×」が一つやから、「特高警察」や「刑事」とは違いまっせ。

偽フン――ということは「遅鈍な犬達が手錠をがちやつかせて」くらいかな。

偽博士――そうですね。

偽モッキンポット師――口の悪い日本人にはすぐわかるもんやな。

偽博士――モッキンポット先生、「口の悪い」は余計です。

偽フン――まあ、いいだろう。当たっていないこともない。ともあれ、井上修吉が非合法活動家であったことは間違いない。非国民そのものだな。

偽モッキンポット師――フランスでもレジスタンスの闘士らが必死の地下活動でナチスと闘ったもんや。ヴェルコールの小説『海の沈黙』に代表されるレジスタ ンス文学は人類の宝や。日本人にもこないな経験があったとは、よう知らんかった。

偽博士――ナチス支配下のドイツにも「白バラ運動」のように、自由を求める反ヒトラーの地下活動がありました。21歳の女性ゾフィー・ショルの闘いを描い た映画『白バラの祈り』(マルク・ローテムント監督、2005年)は感動的でした。

偽フン――(すっくと立ち上がって)抑圧があれば人民は必ずや抵抗する。情勢がどれほど厳しくとも、自由を求め、人間の尊厳を賭けて闘うのが人民の必然で あ〜る。それゆえ人民とともにある作家たるもの、命を賭けてペンを握り、原稿用紙に向かい、時には謄写版に向かわねばならない。わしが受けてきた抑圧は、 激しく、長く、厳しく、容赦なく、今にも崩れ落ちんとしたことが幾度あったかしれない。だが、わしはその度に不死鳥のように蘇り、人民とともに立ち上が り、社会変革のため、真実の人生めざして飛び立ったのであ〜るッ。

偽モッキンポット師――三流作家のフンとは思えん名演説やけど、唾飛ばすのやめてんか。

――3人が気づかないうちに、空飛ぶ絨毯は東に向かって静かに流れ始める。

<参考文献>
井上修吉「プリントの書き方」『戦旗』1930年3月号(同『H丸伝奇』山形謄写印刷資料館に収録)
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