2014年11月21日発行 1355号

【どくしょ室/福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞/日野行介 著 岩波新書 本体780円+税/支援法を「殺した」政府・官僚】

 2012年6月21日、画期的な「子ども・被災者生活支援法」が議員立法によって成立した。この法律は、自主避難者や放射線への感受性が高い子どもを救う趣旨で作られた。その主眼は、政府の避難基準20_シーベルトを下回っているが放射線量が「一定の基準」以上の地域を支援対象地域に指定し、住民が避難・残留・帰還のいずれを選択した場合も等しく支援しようというものだった。問題は、その「一定の基準」を含める基本方針の策定が政府に委ねられたことだった。

 基本方針案の策定は1年以上にわたって放置され、13年8月30日にようやく発表された。それは、支援対象を避難指示区域の周辺33市町村に限定し、施策の大半は帰還促進を狙ったものだ。支援法の理念は骨抜きにされた。

 本書は、政府とその意を受けた官僚たちがどういうプロセスで支援法を「殺した」のかを丹念に追及した貴重な記録である。

 政府は12年2〜3月にチェルノブイリ現地調査を実施していた。その報告書は、「義務的移住ゾーン」(5_シーベルト超)、「移住の権利ゾーン」(1〜5_シーベルト)を規定したチェルノブイリ法を「政治的背景に基づくもので、過度に厳しいもの」と否定。健康被害についても「事故と因果関係のある疾病リストが広すぎる」などと批判する。被ばくの影響よりも精神的な被害が大きいとし、対応策として「エートスプロジェクト」を紹介するという恣意的なものだった。報告書は公表されなかったが、その後の政府の対応策の基本になった。

 基本方針策定をサボタージュする姿勢は、「左翼のクソども…」とツイッターに書いた復興庁のキャリア官僚だけのものではなかったのだ。

 支援法が成立した12年の暮れに衆院選があり、自公連立の安倍政権が誕生した。翌13年3月になって、根本復興相が「原子力災害による被災者支援施策パッケージ」なるものを発表した。これは、基本方針策定を参院選(13年6月予定)以降に先延ばしした場合に「違法状態」にならないよう手を打ったものだった。

 参院選での連立与党勝利を受けて、関係省庁の上層部が協議し、「20_シーベルトを下回った地域は避難指示を解除し、住民の帰還を促す」という大方針が固まった。それによって、新たな線量の基準をつくる作業自体が捨て去られてしまった。

 そして政府はひたすら住民の帰還促進へまい進することになる。

 登場する官僚の姿には、住民の健康を守ろうという姿勢が全く感じられない。本書を通じて、帰還強要を進める安倍政権に「避難の権利」を認めさせるには避難者などが起こしている全国の賠償訴訟が大きな意味を持つことが改めてはっきりする。     (U)
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