2016年08月19・26日発行 1441号

【ミリタリー・ウォッチング 高江も辺野古も一体の基地強化 背後に日米合作SACO合意】

 参院選翌日の7月11日早朝、政府は沖縄県国頭(くにがみ)郡東村高江の米軍北部訓練場内ヘリパッド建設工事再開へと資材搬入を強行した。22日には、県を相手取り、埋め立て承認取り消し処分の違法確認訴訟を福岡高裁那覇支部に起こし、並行して辺野古陸上部工事を再開する方針を明らかにした。和解協議は形だけにとどめ、高江、辺野古、訴訟を同時に進める三正面攻勢≠ノ乗り出した。沖縄選挙区ですべての国会議員議席を失った政府・自民党は、「居直り強盗」さながらの凶暴さをむき出しにした。

密室協議で危険な罠

 高江のヘリパッド建設と辺野古新基地建設は、最初から一体の計画だ。どちらも1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告で日米政府間合意としたものである。

 SACOの協議は1995年、米海兵隊員による少女暴行事件を機に大きく高まった米軍基地削減・撤去、海兵隊撤退の県民要求に対応するとして出発した。だが、転んでもただでは起きない日米当局は、密室の協議によって合意事項に危険な罠を仕組んだ。罠とは、土地の返還について基本的に「代替機能を備えた施設」の提供を求めるというもの。この罠を仕組むのに主導的役割を果たしたのは日本政府である。当時、海兵隊の大幅な削減・撤退も避けられないと覚悟していた米側に対し、「日本政府が在沖米軍を撤退させないよう求めていた」とモンデール元副大統領(1995年時の駐日米大使)は証言している(2004年4月)。

 沖縄に日米の軍事拠点を維持したい日本政府の思惑と、米国内も含め広がる海兵隊不要論から生き残りをかけて機能強化をめざす海兵隊の思惑が一致。その末の合作が「SACO合意」だったのである。

 北部訓練場に関して日本政府が言う「過半の土地返還で沖縄の基地負担軽減が実現」は「普天間基地の辺野古移設」と同様に完全なペテンだ。

 太平洋地域の基地運用計画についてまとめた海兵隊の「戦略展望2025」(2013年発表)は、米軍北部訓練場の部分返還について「最大で約51%の使用不可能な北部演習場を日本政府に返還する間に、限られた土地を最大限に活用する訓練場が新たに開発される」と明記。キャンプ・シュワブについては「すさまじい変化を遂げる」と強調。嘉手納より南の米軍基地の返還・統合は「海兵隊は、次世代の海兵隊員やその家族を支えるための最新で、近代化され効率的な施設で利益を得るだろう」とした。海兵隊は、「SACO合意」の実施は基地の機能強化を進めると断言しているのだ。

 機能強化の一つは、オスプレイの配備である。すでに「SACO合意」の段階で米軍はオスプレイ配備を明らかにしていた。日本政府は2011年、環境影響評価(アセスメント)の最終段階となる評価書で初めて沖縄へのオスプレイ配備を明記し、認めた。2007年の高江での住民説明会でも「米側から聞いていない」としらを切っている。

 高江ヘリパッド建設は、周辺住民の生活環境だけでなく、世界自然遺産の候補地でもある本島北部やんばる地区の貴重な動植物の生息環境、生態系も破壊する。

 高江も辺野古も基地強化≠アそが正体だ。絶対に許してはならない。

豆多 敏紀
平和と生活をむすぶ会



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