2016年10月07日発行 1447号

【沖縄・高江で闘う ヘリパッドいらない住民の会 儀保昇さんに聞く 日本政府は沖縄の声を聞かない 闘うしかない―本土の闘いが支え】

 沖縄県東村高江でのオスプレイパッド新設工事を止めようと市民が座り込みを続けている。闘いの中心となる「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保(ぎぼ)昇さん(1954年生まれ)が「ゆるすな!辺野古・高江新基地建設」などをスローガンとする10・23団結まつり(東京)に参加し、支援を訴える。闘いへの思いを大宜味(おおぎみ)村の自宅で聞いた。(9月17日、まとめは編集部)



 ――国が県を訴えた裁判の判決をどう聞きましたか

 (敗訴は)予想してましたよ、沖縄人は。裁判長を入れ替えた段階でね。知事の言うことがまともだなと思っても、言うことを聞くはずがない。残念なことですが、それでどうなるわけでもなし。沖縄と日本政府の関係はいつもそうでした。

 ――現在の活動スタイルは

 私は毎週金曜日に夕方5時から翌朝8時まで泊り込みの当番です。火曜日は昼間の当番。8時から夕方5時です。

 もう9年になるでしょうか。N1テントに1人は居て、監視をしたり、来訪者の対応に当たろうと。住民の会で当番を決めています。

 昨日はちょうど当番で泊り込んでいました。そのまま土曜日の早朝行動に参加して、午後、帰ってきました。月曜日や水曜日も早朝5時頃行動に出ることもあります。そんな時も午前中で帰っています。

 後ろ髪を引かれつつも、帰ってニワトリに餌をやらなくてはいけないので。餌が遅れるとニワトリはストレスがたまり、お互いを突き合います。ひどいときは、死ぬまでやります。普段は朝一番の仕事がニワトリの餌やりです。(行動に出て)昼ごろまで餌やりがずれてしまうと、心配で。

 ――テントでの行動はいつごろから始めたのですか

 テントが設置されてからずっとやっています。「住民の会」は本来高江の住民の会なのですが、人数が限られています。私は隣村の住人ですが、一坪反戦地主など古くから反戦運動を一緒にやってきた関係もあり、いさせてもらっています。東村の他の地区の人も加わっています。

 他の地域の人が入ると「住民の意思ではないだろう」と中傷されるのではないかと。そんな心配をしながら、やってます。

 夜は2〜3人が泊まります。主に「ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会」の人たちに応援をお願いしています。本土から来ている人も入ってます。60〜70人ぐらいいるでしょう。

 火曜日の当番の時でした。頭の上を自衛隊のヘリが重機を運んで行くのを見ていました。大型ヘリがトラックの乗った鉄板を吊り下げて、フラフラしながら1日中行ったり来たりしたわけです。その音が耳に残っています。もちろんショックでしたが、今回の裁判と同じように、日本政府の沖縄の扱い方そのものだと感じました。それでもやるしかない。

 ――これまでどんな運動を

 昔は県の職員で、労働組合の役員をしたこともあります。37歳の時に退職、農業をはじめたのですが、自衛隊P3C基地に反対する本部町豊原に通い、菊づくりやサトウキビの収穫を手伝ったりしました。辺野古にも通っていました。

 県を辞める時、親戚には反対されました。沖縄では最も安定した職業ですから。下水処理場で勤務をしたこともあって、大量の水や電気を使い、処理水を海に流すだけの今の処理システムに疑問を持ちました。この家は20年前に建てたのですが、床下に25トンのタンクを埋めてあります。雑排水を溜め、ホテイアオイで浄化をし、畑に使い、最終的には水田に使えるよう、土地を階段状に切り下げました。

 土壌はph4の酸性度の高い赤土です。いろんな種をまいてみましたが、うまく育ちません。そうした環境に適合した植栽がやんばるの風景です。ヘリパッドの建設で、赤土の上に砕石をまいています。砕石は石灰系でアルカリ性なので中和され、やんばるにはない植物が生え始めています。そんな環境破壊も引き起こしているのです。

 ――本土の闘いにひとこと

 おこがましいことは言えませんが、本土が変わらないと、沖縄だけでは勝てないと思っています。オール沖縄を生んだのは目の前の危機感だと思いますが、国会議員の数にして沖縄は500対10の割合でしかありません。本土で政権を変えていく民意が確かなものになればと願っています。希望はあります。沖縄の運動を支えているのは本土の闘いであることも事実ですから。
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