2016年10月28日発行 1450号

【非国民がやってきた!(243)ジョン・レノン(6)】

 1965年2月、アメリカはヴェトナムに対して本格的な北爆を開始しました。1969年、リチャード・ニクソンが大統領に就任すると、ヴェトナム戦争は激化し、ヴェトナム人民の抵抗により泥沼状態に陥りました。

 「平和のためのドングリ・イベント」と「ベッド・イン」に続いて、ジョンとヨーコは次々と平和のための活動を考案しました。

 1969年11月25日、ジョンはエリザベス女王にMBA勲章を返却しました。MBA勲章とは大英帝国勲章の一つで、1965年にビートルズが受賞しました。

 ジョンがエリザベス女王に出した手紙は次の通りです。

 「女王陛下

 わたくしは英国のナイジェリア=ビアフラ問題への介入、アメリカのヴェトナム政策支持、そして『コールド・ターキー(Cold Turkey)』がヒット・チャートから滑り落ちている事態に抗議して、ここにMBA勲章をお返しいたします。」

 抗議の第1の理由がビアフラ問題、第2の理由がヴェトナム戦争への支持問題でした。ビアフラ問題とは、1967〜70年、ナイジェリア東部のビアフラ共和国宣言により起きたナイジェリア内戦のことで、厳しい飢餓政策により150万ものイボ人が亡くなったと言われます。

 ビートルズが受賞したMBA勲章を、ジョンが返却したことで大騒ぎになりました。ジョンのもとに大勢のジャーナリストが押し掛けました。

 「ビートルズのためによかれと覆って勲章をもらったが、それは自分を偽り、魂を売り渡す行為だと気づいた。いま勲章を返すことで、平和のために魂を買い戻している。」

 こうして平和を売り込むジョンの取り組みがメディアをにぎわしました。

 なお「コールド・ターキー」への言及はジョンのユーモアの表れですが、このユーモアは理解されず、憤激を買うことになりました。「コールド・ターキー」はプラスティック・オノ・バンドが1969年に発表した2曲目のシングル曲です。

 続いて、1969年12月16日、世界各地の都市に突如、巨大な広告版が掲示されました。

 「戦争は終わった、あなたが望むなら(War Is Over, If you want it)。ハッピィ・クリスマス。ジョンとヨーコより」

 ニューヨーク、ロサンジェルス、ロンドン、パリ、ローマ、ベルリン、アテネ、モントリオール、トロント、東京、香港。

 ニューヨークではタイムズ・スクウェア、ロンドンではシャフツベリー・アヴェニュー、パリではシャンゼリゼ通りと、各都市の中心街に平和のメッセージが掲げられたのです。経費がいくらかかろうとも、平和を売り込むための宣伝キャンペーンです。

 テレビも新聞も2人のメッセージを大きく報道しましたから、このメディア戦略は大成功でした。世界中のミュージシャンが刺激を受け、若者たちが平和のメッセージを受け止めました。

 当時中学2年生だった筆者はこのニュースに接して「あのビートルズのジョン・レノン?」と不思議に思ったものです。まだ、ジョンの平和運動を知らなかったためです。筆者がジョンとヨーコの活動を知ったのは高校生になってからのことでした。

 ポップ&ロックのスーパーグループであるビートルズの反戦平和活動は当時の日本の若者にも大きな影響を与えました。1969年12月24日、日比谷野外音楽堂で「愛と平和のためのクリスマス・パーティ」が開かれたといいます。

 平和宣伝キャンペーンは、ジョンのソロ・シングル代表作である「イマジン(Imagine)」、そしてジョン&ヨーコの「ハッピー・クリスマス (戦争は終った) Happy Xmas (War Is Over)」につながります。
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS