2016年12月23日発行 1458号

【非国民がやってきた!(247)ジョン・レノン(10)】

 1972年3月1日、ジョンとヨーコのもとに、移民帰化局から、アメリカでの観光ビザの更新を認めないので3月15日までに国外退去するよう求める通知が届きました。2月29日に6カ月間の滞在ビザが切れたためですが、単なる事務的手続きではありません。

 1月21日にFBIが国家安全保障上の理由でジョンの身辺調査を始めました。1971年12月10日の「ジョン・シンクレア支援コンサート」の時、すでにFBIは出演メンバー全員の発言と歌詞を記録していました。FBI秘密捜査員の報告書がフーヴァー長官のもとに送られました。「ニクソン大統領を守るため」です。

 72年1月13日、ジョンとヨーコは「デヴィッド・フロスト・ショー」に出演し、「アッティカ・ステート」など政治色の強い曲を演奏しました。FBIがジョンに標的を絞って調査を始めるきっかけの一つと言われます。

 アメリカ政府も動きました。上院のスタッフがストロム・サーモンド議員(共和党)に、ジョンが新左翼文化人と交流がある、と知らせました。サーモンド議員はジョンの国外追放処分をジョン・ミッチェル司法長官に送りました。もっとも、ニクソン大統領はそれ以前からジョンを厄介視していたと言います。

 FBI、議会、行政府が一斉にジョン追放に動き始めたのです。

 ジョンとヨーコがヴェトナム反戦運動をリードしたことが主な理由ですが、新左翼文化人との交流もやり玉に挙げられました。新左翼文化人とはジェリー・ルービン、アビー・ホフマン、レニー・デイヴィス、アレン・ギンズバーグ、ジョン・シンクレアたちのことです。ルービンたちは8月にサンディエゴで開催される共和党大会への抗議行動を準備していました。ルービンたちは暴力を示唆する発言をしていました。現場では機動隊とデモ隊が激突するに違いありません。

 ジョンはルービンやホフマンたちと付き合い、時には一緒にテレビ出演していました。しかし、ルービンたちが平和的な抗議行動だけでなく暴力的行動に出たり、煽動したりするようになったため、ジョンは距離を置いていました。

 「ぼくは決して暴力には走らなかった。歌の文句じゃないけど『愛こそすべて(All you need is love)』で、これが究極の政治理念だ。ぼくらに必要なのはもっと多くの愛なんだ。政治的になることは音楽を妨げることがわかった。ぼくはミュージシャンであって、政治家じゃないんだ。」

 しかし、政府にとってそうした差異は重要ではありません。ジョンとヨーコが新左翼文化人と付き合い、ヴェトナム反戦運動に加わったこと自体が許せないことでした。ジョンは「国家の治安を脅かす秘密活動の煽動者」とみなされたのです。

 「国家安全保障上の理由」で「ニクソン大統領を守るため」にジョンとヨーコの身辺調査を始めた政府は、ジョンの観光ビザが切れたことに目をつけて、まず国外退去命令を出しました。ジョンはイギリス国籍で、アメリカには観光ビザを更新して滞在していたからです。

 ジョンの前歴を調査した移民帰化局は、1968年11月28日にジョンが大麻不法所持によって有罪判決を受けたことをビザ更新拒否理由としました。同じ経歴を有しているのに滞在を認められた多くの人物がいたと言います。

 こうして史上最大の帝国と史上最高のロック・スターの対立がニュースとなりました。国外退去命令が繰り返し出され、ジョンはこれに対抗して提訴し、法廷闘争に打って出るとともに、嘆願書を出すなど懸命の抵抗を続けます。

 「ぼくはミュージシャンであって、政治家じゃないんだ」と語るジョンですが、もはやミュージシャンとしてではなく、不当な国外退去命令と闘い、永住権(グリーンカード)を求めて訴え続けることになりました。
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