2017年02月17日 1465号

【ZENKO沖縄参加団/伊江島・辺野古・高江を連帯訪問】

 毎月沖縄を訪れているZENKO参加団は1月27〜29日、辺野古新基地海上工事が2月にも強行という緊迫する現地を連帯訪問。現場の闘いと交流し、県民の怒りの原点に触れた。参加者に報告を寄せてもらった。

愛とユーモアをもつ行動/沖縄民衆の闘いの原点を知る

 東京のZENKOスタート集会(1/29)に出席するため、日程を途中で切り上げての参加だった。

 1日目は伊江島。かつて米軍の銃剣とブルドーザーの弾圧によって住民が土地を奪われた島だ。

 その記録を展示してあるのが「わびあいの里」。写真や横断幕、生活用具などが所狭しと並べられている。手にとって、目で見て当時の闘いを知ることができる。ZENKOの前身、「働く青年の全国交歓会」の横断幕も残されていた。

 島の真ん中にタッチューと呼ばれる小高い山があり、島じゅうが一望できる。その半分以上が米軍に占領されていた。島民たちは沖縄本島で「乞食(こじき)行進」という名の陳情行動を行う。戦後の沖縄民衆の闘いの原点である。

 今はオスプレイが離着陸訓練をする基地になっている。本土でも訓練が始まり、日本全体がオスプレイの一大拠点となるが、伊江島もその一端を担わされている。

 2日目は辺野古と高江へ。キャンプ・シュワブゲート前の集会は、参加した人たちが誰でも自由に発言し、歌を歌い、自由な交流の場になっている。近く工事再開ということできびしい闘いが予想されるが、全国から連日大勢の方がたがかけつけている。

 高江のN1地区の2か所のオスプレイパッドはまだ完成していない。「返還」式典は名前だけ。無理な手抜き工事で、崩れかかった所もあり、とても使える状態ではない。

 ゲート前に「いつでも愛とユーモアを」の標語が掲げられていた。暴力によるのではなく愛とユーモアをもってふだんの阻止行動が取り組まれている。私たちZENKOも沖縄にならって本土での闘いを続けていきたい。

(2017ZENKOin東京実行委員長・藤平良祐)




人びとを苦しめる建設の暴挙/沖縄に基地は似合わない

 那覇空港で、最初に私を迎えてくれたのは、数十機の無気味に整列した軍用機と初夏を思わせる暖かい陽気でした。

 伊江島では、沖縄の人達が背負わされてきた重く暗い歴史を学び、拡張されつつある米軍基地を目にしました。辺野古キャンプ・シュワブでは、集会途中、2機の戦闘機が私達の頭上を交差しながら旋回し、その轟音で話し声が何度もかき消されました。衝突の可能性もあり、私達の命を軽視する行為だと感じました。高江では、ヘリパット工事の工期がアベの命令で突如短縮され、崩れ落ちる危険性が大きいずさんな工事になっていることがわかりました。

 辺野古の基地も、高江のヘリパッドも、そこに住む人達の言葉に耳を貸さず、そこに住む生き物たちに何の配慮もなく、沖縄の人達を苦しめるだけの基地建設を、ただ、がむしゃらに進めようとする暴挙でしかないように思えました。

 沖縄の人達は楽しく笑い合い、辺野古では12年も座り込みをし、自分たちの大事な土地や海を守ってこられました。

 青い空・澄んだ海・イタジイの森・満天の星、そして、人びとの笑顔…。基地は沖縄に似合いません。「沖縄は、まだ、戦後になってないのよ」―私を沖縄へと向かわせたある女性の言葉が、再び胸に戻ってきました。

  (滋賀・内藤寿美子)

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