2017年02月24日 1466号

【福島・浪江町住民懇談会開催/避難指示解除方針に反対の声続出】

 昨年6月の飯舘村、10月の川俣町山木屋地区に続いて、浪江町、富岡町の避難指示解除がもくろまれている。政府は3月31日までに帰還困難区域を除くすべての避難指示を解除する方針だ。

 浪江町は津波で全壊した請戸(うけど)港から原発排気筒が見える位置にある。町民約2万人全員に避難指示が出された。浪江町住民懇談会は1月26日から10か所で開催。2月7日都内で行われた懇談会には200人が参加した。

 馬場有(たもつ)町長は解除後の避難者向け支援継続を表明する一方、「役所機能を浪江に戻し、復興の絵姿を見せていきたい」と「復興」を強調。「帰還困難区域が(残っている限り)復興とは言えないので、今年はそこでの拠点づくりを具体化する」と、帰還困難区域一部解除に踏み込む決意を述べた。原子力災害現地対策本部の後藤收副本部長は「懇談会後、町と相談して3月31日解除をどうするか検討する。解除しても全力で支援する」とあいさつしたが、拍手はない。

 除染終了、インフラ整備で帰還の条件が整ったと説明される実態はこうだ。「高い数値が出ている個所はフォローアップ除染をする」「役所の敷地内で週5日、診療所を開設する」「買い物は仮設商業施設、ローソンを利用」「(飲料水にも使う)大柿ダムが濁った場合は取水制限する」「ドローンを活用した宅配サービスなど技術産業を誘致」。どれも安心して暮らせる居住環境の説明になっていない。

 会場発言の10人全員が反対・異議を申し立てた。「高い放射能が出ていて廃炉もままならないのに、そんな場所に帰れるのか」「家族全員に甲状腺異常が見られる。野菜にはベクレル表示を。売れなければ補償を」「年150万円の農業収入ではやっていけない。兼業していたが、今は職がない」「部屋の中も年間2mSvを超える。安全と言われても帰れない」

 「後藤さんは家族を連れて浪江で生活できるか」と詰め寄る女性には「今は仕事で福島市に住んでいる。仕事が浪江なら浪江に住む」と官僚答弁。「住める環境かどうかを聞いているんだ」と批判が飛び交った。

 町は「長期目標として年間追加被ばく線量1mSv以下になるまで取り組む」ことを打ち出している。しかし現在、宅地の空間線量率の平均値は70%低減したといっても毎時0・52μSvと高い(現地対策本部)。それどころか、年間50mSvを超える帰還困難区域の解除までめざすのだから、目標はウソで、ないに等しい。

 現地対策本部は先に避難指示が解除された自治体の事例を報告した。「ロボット工場の稼働、診療所開業、金融機関再開」(楢葉町=15年9月解除)「郵便局・宅配サービスの再開、盆踊り実施」(葛尾村=16年6月解除)「高校の統合再開、JRの開通、小高の火の祭開催」(南相馬市=16年7月解除)など。およそ子育て世代が帰って生活できる環境にはなっておらず、限界集落化の進行を裏付けるものでしかない。

 会場からは「これは誰のための説明会なのだ」。怒りの声が上がった。

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