2017年03月10日 1468号

【非国民がやってきた!(252)土人の時代(3)】

 2001年9月8日にダーバン人種差別反対世界会議で採択されたダーバン宣言は、植民地主義、人種差別、奴隷制、人道に対する罪、先住民、アフリカ系人民、アジア系人民などの概念を用いて、現代世界の人種主義と人種差別の源泉を明示しました。

 もっとも、ダーバン宣言は政府間の宣言ですから、曖昧さを残した部分もかなり見られます。欧米諸国などのいわゆる「先進国」は実際には植民地宗主国でしたし、奴隷制を実行した国々ですから、その責任を解明する文書に全面的に同意したわけではありません。

 植民地時代の奴隷制が人道に対する罪であったことを認めましたが、植民地支配そのものが人道に対する罪であったとは認めませんでした。

 実は1980年代から90年代にかけて、国連国際法委員会で「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」を作成した時に、一度は「植民地支配犯罪」という犯罪が明記されました。これが実現していれば、植民地支配を始めたことに責任のある個人、植民地支配を維持することに努力した個人が犯罪者として裁かれることになります。

 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国は植民地支配犯罪をつくろうと主張しましたが、欧米諸国の猛烈な反対に出会い、実現しませんでした。

 それから10年以上を経て、今度はダーバンで植民地支配は人道に対する罪であったと認知させようとしたのですが、やはり欧米諸国の反対によって潰えることになりました。

 かろうじて獲得できたのが「奴隷制は人道に対する罪であった」という認定だったのです。というのも、1998年のローマにおける全権外交官会議において採択された国際刑事裁判所規程にすでに「人道に対する罪としての奴隷制」が明記されていました。この規定を採用することができたのは、国際刑事裁判所規程には、60か国以上が批准した時に規定が成立し、適用できるようになると明記されていたからです。過去の人道に対する罪を裁くことはしないという約束のもとに成立したのです。

 それゆえ、2001年のダーバン宣言以後は、過去の植民地支配を犯罪として裁くことや、その責任を追及して補償を獲得することではなく、過去の植民地主義が残存しているがゆえに現在もなお被害が継続しているという理論構成のもとに政治責任を追及することに向けられることになります。この課題が実現すれば、それなりに大きな意味を持ち得たはずです。

 しかし、それが実現することは、基本的には、ありませんでした。

 第1の理由は、アメリカとイスラエルがダーバン宣言をボイコットしたことです。8月31日に始まった会議に参加していたアメリカとイスラエルは、最終日の9月7日(実際には9月8日にずれ込んだ)を待たず、6日に会議をキャンセルしてダーバンから立ち去りました。言うまでもなく、パレスチナ問題の扱いに対して反発したためです。

 第2の理由は、ダーバン宣言採択の3日後に、ニューヨークで起きた9・11事件です。事件をきっかけにブッシュ政権は「テロとの戦争」を掲げ、アフガニスタン戦争、イラク戦争に突き進むと同時に、国内では「愛国者法」を制定してイスラム教徒やアラブ人への弾圧を繰り広げました。人種・民族・宗教対立が激化しました。

 ここに現代植民地主義の新段階が刻まれています。旧植民地宗主国が植民地支配やその時代の奴隷制を反省する機会がダーバン会議だったはずなのに、わずか3日後に、世界は暗転しました。「野蛮人」、「原住民」、「奴隷」の範列に、「テロリスト」という異質な言葉が加えられました。

 われわれの<文明>を破壊し、攻撃する蒙昧な<野蛮人>としての「テロリスト」に人権を認める必要はありません。誰がテロリストであるかは、言うまでもなく、われわれ<文明人>が決めることとされます。「土人」や<野蛮人>の意見を聞く必要はありません。

 こうして20世紀の植民地主義の延長上に、一段階新しく現代植民地主義が屹立することになりました。これを21世紀植民地主義と呼んでおきましょう。

 なお、詳しく紹介する余裕はありませんが、ダーバン宣言を受けて世界の被差別人民や先住民族の新たな闘い(人間回復と平和を求める闘い)が始まったことを付記しておきます。
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