2017年05月19日 1477号

【検証 国鉄分割民営化30年(下)/尼崎事故は命よりカネのJRの象徴/真の公共交通復権を】

 国鉄「改革」から30年。今回は安全問題の観点からJRを検証する。

矛盾集中したJR西日本

 1987年の国鉄分割民営化後、JRが関係する乗客死亡事故は4件。中央線東中野駅事故(88年、死者2名)、信楽(しがらき)高原鉄道事故(91年、死者42名)、尼崎脱線事故(2005年、死者107名)、そして羽越線列車転覆事故(05年、死者5名)だ。事故の件数、死者数のどれを見てもJR西日本が圧倒的に多い。

 信楽高原鉄道は、国鉄再建法に基づく第1次特定地方交通線、信楽線を転換した第三セクター鉄道だ。14・8`bの全線に行き違いのできる設備はなく、1本の列車が往復するだけのミニ鉄道は、91年に開催された「世界陶芸祭」で一変。JR西日本からの臨時直通列車を運転させることになり、すれ違いができる設備を途中区間に設けた。だが、信号設備の設置にミスがあり、上下列車が正面衝突する大惨事を招いた。

 この事故では、遺族への補償金32億円をJR西日本と信楽高原鉄道が折半して支払ったが、JR西日本は「赤信号のまま列車を発車させた信楽高原鉄道に事故の責任がある」として民事調停を提起。訴訟までちらつかせながら賠償負担を信楽高原鉄道に押しつけようとした。

 赤字線として一度は切り捨てた信楽線を金儲けイベントの時だけ徹底的に利用し、事故が起きると責任・賠償から逃れようとしたJR西日本の姿勢は断じて許されない。

会社方針に「稼ぐ」

 信楽事故の反省をしなかったJR西日本ではその後も事故が続いた。02年には、列車にはねられ負傷した中学生を救助するため線路内にいた救急隊員が別の列車にひかれる事故が発生。05年4月には、ついにJR最大の悲劇となる尼崎脱線事故が起きた。

 この事故は、兵庫県の塚口〜尼崎間で、制限速度70`bの急カーブを120`b近い速度で通過した速度超過が主因とされた。違反を起こした運転士を運転業務から外し、一日中反省文を書かせるなどの懲罰的「日勤教育」が、労働者締め付けとしてクローズアップされ、JR西日本は再び批判を浴びた。

 JR西日本は、事故が起きた05年度の大阪支社長方針のトップに「稼ぐ」を掲げていた。安全のためであっても、労働者が列車を遅らせたり止めたりすれば懲罰的「日勤教育」を受けさせられる。乗客・労働者の生命より金儲け優先の企業体質が事故を招いたことは明らかだ。



 この方針を決めた事故当時の責任者、橋本光人大阪支社長は、引責辞任したように見せかけながら、事故からわずか1年後の06年7月には子会社「JRサービスネット金沢」の専務として天下り。JR西日本役員が国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調、現在の運輸安全委員会)の委員に接触、最終報告書案を事前に聞き出そうとする「事件」も09年に起きている。尼崎事故遺族から「反省が全く感じられない」との声が上がったのは当然だ。

 同じ年に起きたJR東日本の羽越線列車転覆事故は、暴風警報が発令されるほどの状況で、減速もせず列車を100`b近い高速で走らせたことが原因とされた。JR東日本では、強風で危険と判断される場合に列車を止める権限が現地の駅長に与えられていたが、事故直前の02年、この権限を奪う運転規則の改悪を実施する。尼崎事故の教訓は生かされなかった。

 11年には、JR北海道の石勝線のトンネル内で特急列車が出火、全焼する事故が発生。奇跡的に死者は出なかったが、経営危機を受けて社内に設けられた「JR北海道再生推進会議」は、民営化後30年間、JR北海道が安全投資に回すべき費用を、高速バスや航空機との競争のため高速化に充てていたことを認めた。

JRだけの責任か?

 安全向上へJRを指導する立場であるべき国は数々の安全規制を緩和した。特に02年の「改正」では、省令からほとんどの数値規制がなくなり行政通達に格下げ。安全確保も国の責務から鉄道会社の企業努力に格下げされた。こうした国の姿勢がJRの暴走の背景にある。責任は重大だ。

 利益のために民営化・規制緩和を推進する新自由主義政策では生命も安全も地域公共交通も守れない。新自由主義を葬り去り、真の公共交通を復権させることが必要―JR30年の歴史から私たちが汲み取るべき教訓だ。  (了)
ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS