2017年06月09日 1480号

【坂井美穂のじゃらんじゃらんinインドネシア 特別編 インドネシアと朝鮮(下)】

 みなさん、前回のコラムから、すでに2か月近くに。私は今2016年1月にジャカルタ爆弾テロがあった現場をホテルの窓から眺めながら、このコラムを書いています。ああ、このスターバックスや警察の詰所が現場だなぁと思うと、複雑な気分です。そしてまた昨日5月26日のバスターミナル自爆テロ。インドネシアでは、警察官とその関連施設、そして外国人がテロの標的と言ってもよいでしょう。今回はバスターミナルで、住民の練り歩き(断食を頑張ろうと呼びかけながら練り歩く平和的なイベント)の交通整理にあたっていた警察官が犠牲となっています。長くなるので、テロの話については、おいおいゆっくり書きたいと思います。

 さて、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係です。1964年前後より2国間の外交がスタートしたことは前回でお話ししました。いきなりですが、皆さんは金日成花(きんにっせいばな)という花をご存知ですか? ラン科セッコク属の交配種で、英名ではKimilsungia(学名 Dendrobium 'Kim Il Sung')と言います。これは、55年に当時インドネシア大統領であったスカルノたちによって指導されたバンドン会議(アジア・アフリカ会議)の10年後、65年に、第2回会議(アルジェで予定、結局開催されず)のセレブレーションイベントへの出席のためにインドネシア、バンドンを訪問した金日成(キムイルソン)に、彼を讃え献名された花です。ちなみに金正日花(きんしょうにちばな)という園芸品種もあり、これは日本の園芸店で開発されたそうですよ。

 しかし、その直後、スカルノがクーデターで失脚、反共産主義を徹底したスハルト軍事政権が擁立されますが、国交は維持されました。時は流れ、スカルノの娘であるメガワティが政権をとり、2002年に平壌(ピョンヤン)訪問を実現させ、再び2国間の関係は注目を浴びました。04年に朝鮮から拉致被害者が日本に帰国する際もジャカルタを経由したりと、友好関係は維持されてきました。今回の金正男(キムジョンナム)殺害事件で今後どう変わっていくのか、注視していく必要があります。

 坂井美穂(ジャカルタ在住)

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