2018年03月09日 1517号

【福島沖縄祭り@節分に70人 「福島と沖縄は同じ」とつながる 5月 ガマ人間あらわる 公演へ】

 2月4日、福島市内で「福島沖縄祭り@節分」が行われた。祭りを担った「月桃の花」歌舞団・神子幸恵さん、シャンソンに自作の歌詞をつけ飯舘(いいたて)の山への思いを歌った飯舘村在住・山仁育男さんに報告をお願いした。

手踊りに地元出演者 交流し話す大切さ学ぶ

 今回の「福島沖縄祭り@節分」は、5月12日のミュージカル『ガマ人間あらわる』福島公演のチケット販売すること、公演実行委員を増やすことが目的でした。フライヤーを作り、支援者Yさんといっしょに地元テレビ局・新聞社などを回りました。「福島民友」「福島民報」「河北新報」の3紙に記事が掲載され、問い合わせも6件ありました。

 当日は、開演前から新聞記事やフライヤーを手に持った方々が並び、70人が来場。「河北新報」を見て宮城県から来た方も10人いました。アンケートでは、「じっくり考えるいい機会となりました」「生のエイサーを20年ぶりに観てその迫力に圧倒されています」などの感想。

 沖縄と福島を結ぶ≠フテーマのもと、今回は沖縄現地訪問報告や琉球舞踊を入れ、プログラムも工夫しました。歌舞団の手踊りでは福島市の方や昨年7月の郡山公演からつながった方も練習を重ねて一緒に踊り、飯舘村や二本松市からの出演もありました。

 歌舞団として力を入れたのは、団員一人ひとりが観客と話をして、チケット販売をすることでした。昼食タイムでは、エイサー隊員がお客さんのところに行って、「どこから来たのですか」「何で今日のことを知りましたか」など話しかけながら交流しました。その中で、「飯舘村から福島市に避難してきた」「福島と沖縄は同じ」との話を聞いたり、カンパをいただいたり。このお祭りで8枚のチケットを販売できました。

 お祭りを通して、普段不安に思ったり感じていることを話す場が求められていると実感し、私たち自身が直接話をしてつながりを作っていく大切さを学びました。文化運動でつながりを作り、5月福島公演を大きく成功させたいです。     (神子幸恵)

「被災地」ではなく、今ここに生きる生・命を歌いたくて…

 ♪白くかすんだ山に 囲まれた ふるさと/その土地を 逐(お)われて/憧れたこともある 町の暮らしに 君は もう なじんだのか/あの時、背にした 田んぼもベコも あそこには 見えない

 ♪見えない毒 瓦礫の覆いばかり 目につく 君のふるさと/でも、山は美しい 今も命、重ねて (日々の命、繋げて)/木も草も鳥たちも、そこで生きてる

 「高度成長」の幻想と、1960〜70年の「反抗」が交錯するころ、フランスの社会派歌手ジャン・フェラの『ふるさとの山』の歌が「シャンソン」好きの青年・中年に口ずさまれていた。僕もいい歌だと思って歌った。ただ、「終業のベルを待って、アパートに戻りジャズや料理を楽しむ…」と、都会の生活をぬるく美化している日本語の歌詞には、違和感を覚えた。

 当時、福島第一原発は、すでに完成されつつあった。都会に出てくる農村の若者は使い捨ての「金の卵」。「サラリーマンは気楽な稼業」(植木等の大ヒット)という歌は、幻想であることに気づかない小市民感覚で歌われたのか、あるいは幻想だと知るからこそ悲しい笑いで誤魔化したのか。それこそ僕が、否定しようとしてきた「市民感覚」。

 いま、「安心・安全」願望の位置に立って、原発禍の被災者を哀れみ「差別・偏見」をなじるけれど、その「良心」の裏にも優越感がこびりついていたりする。マスコミや権力者が描く勝手なイメージ・物語・美談が、常識として流通している。それを蹴飛ばして、生々しくここで$カきたい。

 だから、いま福島の山の中で、一人の当事者として働いている。日々を、美辞麗句で粉飾せずに、歌いたい。「でも、山は美しい」と、つぶやきながら歌う、そんな機会を得て、僕のなかで半世紀近く宙ぶらりんだったこの歌を、先日「福島沖縄祭り」で歌うことができた。福島に生きている人と、思いを分かち合えた感触もあった。「月桃の花」歌舞団の人とともに歌った1週間後に石牟礼道子さんの訃報を聞いた。微力だが、ここで生き、歌って生きたいと思った。  (山仁育男)

■公開リハーサル 3月25日(日)午後2時開演 福島市・パセナカミッセ
■福島公演 5月12日(土)午後2時開演 福島市 とうほう・みんなの文化センター
■問合せ 「月桃の花」歌舞団 info@gkabudan.jp





ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS