2018年06月08日 1529号

【シネマ観客席/タクシー運転手 約束は海を越えて/チャン・フン監督 2017年 韓国 137分/平凡な市民が歴史を動かす】

 1980年5月、韓国ソウルでは軍事独裁政権に抗議する学生のデモがくり広げられていた。だが、タクシー運転手のマンソプにとっては商売の邪魔でしかない。妻と死別し一人で娘を育てている彼は稼ぐことに必死だった。

 ついに戒厳令が発令される中、マンソプは外国人客を乗せ光州(クァンジュ)に向かっていた。送迎するだけで大金になると大喜び。客の正体はドイツ人記者のピーターだった。民衆弾圧の情報を得た彼は、真相を取材するため、外部と遮断された光州に入ろうとしていた。

 軍の検問をくぐりぬけ、光州市街にたどり着いた2人。そこで見たものは“戦場”だった。民主化運動の鎮圧に投入された戒厳軍が、多くの市民を容赦なく殺傷していたのである。命懸けで撮影するピーター。マンソプも一人の人間として見て見ぬふりはできなくなった。「俺はタクシー運転手。客が行けと言えばどこへだって行く」。2人は光州の真実を世界に伝えることができたのか…。

  *  *  *

 本作品は、光州事件を現地取材した唯一の外国人記者であるユルゲン・ヒンツペーターと、協力者のタクシー運転手キム・サボクの実話をもとにした物語である。昨年8月に韓国で公開され、この年最大のヒット作となった。

 政治を私物化した大統領を退陣させたキャンドル市民革命の余波が冷めやらぬ韓国で、この映画が熱く支持されたのはうなずける。「平凡な市民の勇気ある一歩が歴史を動かす」というメッセージが人びとの心に響いたと思うのだ。

 マンソプはどこにでもいる中年労働者だ。きさくで娘思いだが、政治には関心がない。学生デモには「親のすねかじりのくせに」とむかついている。光州についても「アカが騒いでいるんだろう」程度の認識しかなかった(徹底した報道統制により事実が隠されていたという事情もある)。

 しかし、光州で重装備の軍隊と対峙していたのは普通の人たちだった。大学歌謡祭に出たくて大学に進んだ若者。おにぎりをくれた若い女性。そして、自分と同じタクシー運転手たち。彼らと生活を共にしたマンソプはもう傍観者ではいられなかった。

 タクシー運転手の自分にできるのはピーターを無事に連れて帰ること。マンソプは「歴史的使命」などとは思わなかっただろうが、自分の良心に従った行動が真実を世界に知らしめ、韓国の歴史を大きく動かすことになるのである。

 軍事独裁政権を打倒して改正された現在の大韓民国憲法は「主権は国民にあり、すべての権力は国民から生ずる」(第1条2項)と定めている。マンソプのような普通の市民たちがこの憲法を闘い取り、実践してきたのである。

 キャンドル市民革命を生み出した精神を感じることができる映画としてお勧めしたい。     (O)

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