2018年06月15日 1530号

【韓国活動家が語るろうそく革命と国際連帯/つながる闘い、広げる闘い】

 ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)が韓国で米軍THAAD(サード)(高高度防衛ミサイル)基地建設と闘う活動家を招いて、札幌から沖縄まで5会場で開催した日韓連帯集会(5/20〜27)は、東アジアの平和への展望と国際連帯の意義を示した。韓国民衆は戦争挑発・腐敗政権を打倒するろうそく革命≠成し遂げた。その力は60年代からの軍事独裁政権との闘いの継承にあった。ツアーを終えた3人の活動家に話を聞いた(まとめは編集部)。






先人の闘いが革命へ

 「日帝からの独立運動、軍事独裁政権との命がけの民主化の闘い―これまでの先人のたゆまない闘争の結果、想像以上の力を発揮した」。平和活動家キム・ジョンヒさん(49歳)は、ろうそく革命について集会の中で語った。韓国の民主化闘争(別掲)の経験はどのように継承されているのか。世代の違うカン・ヒョンウクさん(35歳)、イム・スンブンさん(62歳)はどんな思いがあるのか。

 キムさん―87年の民主化闘争の時は大学生だった。日常的にデモがあった。当時の全国大学生代表者協議会イム・ジョンソク議長は文在寅(ムンジェイン)政権の秘書室長になっている。自分は運動の中心にいたわけではないが、知識人の義務・責任とは何かと議論したことを覚えている。

 心の奥に沈んでいた当時の思いが、サード反対闘争の中で浮かび上がってきた。20代の時のスローガン「反戦・反核・ヤンキーゴーホーム」をいまも叫んでいる。

 イムさん―私は大邱(テグ)(韓国第3の都市)で育ったので農業のことは何も知らなかった。42年前、結婚してソソンリに行った。2、3年後、農民運動の女性活動家に出会った。80年の光州(クァンジュ)事件について村で話し合いもした。農村女性の権利運動や文学サークルの活動に参加するようになり、女性会長になった。そこへサードがやってきたので、闘争のまとめ役になった。

 カンさん―私は「無限競争」世代。自分のことで精いっぱい。社会問題に対しても自分が生き残るには、と考える世代だ。光州市民・学生を弾圧した軍事独裁者全斗煥(チョンドファン)なら「こんな学生だったら好きにできた」と言うとの冗談さえ生まれた。

 李明博(イミョンバク)、朴槿恵(パククネ)の時代を通じて、自分だけ生き残ることはできないことを悟った。また、より若い世代がデモする姿を見て、一層そう思ったと友人から聞いたことがある。

 ろうそく革命は、一人ひとりの「何かおかしい」との思いが発信され、共感が広がっていったと思う。かつての民主化闘争は敵がはっきり見えていた。軍事独裁政権だ。今の時代は敵がはっきり見えなかった。それがろうそく集会で明らかになってきた。女性や障害者、中高生の教育問題などいろんな課題がステージでアピールできる。その中で、サードや韓米、南北の問題も課題として理解が広がった。


連帯が力になる

 3人は、ツアーを通じて何を考え、感じたのか。日本の闘いへのメッセージを聞いた。

 キムさん―とても貴重な経験だった。60年代、70年代の軍事独裁政権と闘った先輩から、日本からの支援があったことを聞いていた。今回よくわかった。安倍政権に対するスローガンは韓国ともよく似ている。政治・経済の背景が同じだから。米国の帝国主義的支配もその一つと思う。

 広島は苦しい時間だった。原爆被害を見て、人間について考えていた。被爆地に救援に入る人もいる。どこまで悪魔のようになれるのか、とも。韓国に帰って、戦争について、平和をつくる努力についてみんなで考え、一生懸命闘いたい。韓国の闘いが日本の闘いの刺激になればうれしい。

 イムさん―戦争世代ではないが、年寄りから話を聞いている。原爆被害の話、母子が熔けるように消えた。寝られなかった。戦争の悲惨さを学んだ。村に帰ったら朝鮮戦争の話とともに、核兵器の悲惨さを伝え、サード反対の闘いを強化したい。反対の理由がより明確になった。

 沖縄・辺野古のカヌー隊、横断幕、座り込み。自分の村と同じ風景を見た。日本は韓国より力があると思っていたが、同じように米軍によって民衆が苦しめられている。日韓連帯して闘う必要がよくわかる。大阪集会で話を聞いてくれた皆さんの顔がとてもよかった。勇気をもらった。招待状を受けとった時、怖くて躊躇(ちゅうちょ)したが、来てよかった。

 カンさん―戦争の体験が闘いを支えていると沖縄で聞いた。軍隊は国民を守らない。権力を守るもの。そんな戦争の記憶が強く残っている沖縄・広島で、戦争の準備が進んでいることを知った。韓国では保守か革新かの対立ではなく、戦争か平和かの闘いになっている。日本も同じかもしれない。いまだに軍事緊張で利益を得るものがいるためだ。

 サードの闘いは支援を受ける側だった。闘いをつくるのに必死で余裕がなかった。ZENKOツアーに参加して、日本各地の闘いも余裕があるとは思えないが、海外の運動と交流をしている。国際連帯の力を感じた。学ぶところは多かった。招待に感謝します。

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