2018年07月13日 1534号

【シネマ観客席/ゲッベルスと私 A GERMAN LIFE/監督 クリスティアン・クレーネス他 2016年 オーストリア 113分/無関心が民主主義を滅ぼす】

 映画『ゲッベルスと私』の全国上映が始まった。本作品はヒトラー政権の内部を知る貴重な証人のドキュメンタリーであると同時に、戦争の時代を生きた普通のドイツ人女性の物語でもある。彼女は言う。「政治的無関心がナチスの台頭と躍進を許した」と。同じことが現在の日本でも起きている。「見ようとしないこと」は罪なのだ。

私は知らなかった

 顔や手に深々と刻まれたしわが強烈な印象を残すブルンヒルデ・ポムゼル、撮影当時103歳。彼女は「ヒトラーの右腕」と言われたナチス宣伝相ゲッベルスの秘書だった。国民啓蒙宣伝省で3年間働き、同省の地下防空壕でベルリン陥落=敗戦を迎えた。

 すべてのメディア・文化活動を統制下に置き、プロパガンダ活動を展開していたゲッベルス。そんな人物の間近にいながら、ポムゼルは「何も知らなかった」ことを強調する。「強制収容所が存在することは前から知っていたけれど、まさか人を毒ガスで殺して焼いているなんて、思いもしなかった」と。

 たしかに、彼女は思想的なナチ支持者ではなかった。裕福とはいえない家庭で育ち、職業婦人に憧れていた普通の女性。政治にはまったく関心がなく、恋人に連れていかれたナチ党の集会は「退屈でたまらなかった」。「ユダヤ人に偏見などなかった」というのも本当だろう。

 知人の紹介で国営放送局の職を得たポムゼルは、速記の腕と誠実な人柄を買われ、秘書として宣伝省に配属される。給料が高く「雰囲気の良い」職場で上司の信頼を得て働く。彼女は「エリートになった気分」を感じることができる、この仕事に満足していた。

 「とにかく私はあの頃、なんとかしてお金を稼がねばならなかった。そのこと自体はどこからみても立派でまっとうなことだった。私に何の罪があるの」。権力機構の末端にいた職員に、それだけで戦争責任を問うのは酷だ―。日本的常識では誰もがそう思う。しかし、彼女は本当に何も知らなかったのだろうか。

証言と映像のかい離

 宣伝省には普通のドイツ人が知ることのできない情報が集まっていた。ポムゼルは、自分たちの仕事の大半が「ありのままの事実を粉飾すること」だと認識していた。たとえば、ソ連兵によるレイプ被害の件数を誇張して宣伝したことを、103歳になった今も鮮明に覚えている。

 それなのに、ユダヤ人迫害の数々を「戦争が終わって初めて知った」というのは不自然すぎる。「ユダヤ人が移送される場には、ただの一度も出くわさなかった」と言うが、ポムゼルが宣伝省で働き始めた頃には、ユダヤ人の東方移送が白昼堂々と行われていたのである。

 映画はポムゼルの語りと語りの間に、当時の記録フィルムを挟み込み、証言とのギャップを際立たせている。痩せこけたユダヤ人の死体がゴミのように穴に投げ込まれる場面は衝撃的だ(ドイツの宣伝映画の未公開映像)。職務や命令に忠実な彼女が、見ようとも知ろうともしなかった現実がそこにある。

 映画の原題は『一人のドイツ人の生』。ファシズムの時代を生きたドイツ人の多くは、ポムゼル同様、「恐ろしい事実」に気づきながら直視しなかった。関わろうとはしなかった。なぜなら、そのほうが楽に生きられるから。ポムゼルは言い切る。「人びとは多くを知りたいとは、まるで思っていなかった。むしろ、不用意に多くを背負いたくないと思っていた」と。

 市民の政治的無関心、連帯感の欠如がナチスの蛮行を許したのではないか―。映画は観る者に重い問いを投げかける。小さなエゴイズムに負け、現実を直視しないこと、人間の権利と尊厳を擁護しないことが巨大な悪に加担することになる。私たちもまた、そんな時代を生きている。

安倍政権の今と酷似

 「人びとにとって最大の関心事は仕事とお金を得ることだった。ヒトラーについて行けばどんなことになるのか、かけらも理解していなかった。人間はその時点では深く考えない。無関心で、目先のことしか考えないものよ」

 ポムゼルの語りは、政治的無関心によって民主主義が脆くも崩壊することを伝えている。過去のドイツの話とは思えない。彼女の言葉は、今の日本の社会状況を正確に言い表しているように思える。

 民主主義を軽んじる嘘つき首相(安倍晋三)の「人柄」面での評価は下がる一方なのに、国政選挙では自民党が勝ち続けている。「問題はあるけどさ、やっぱ景気でしょ」「文句ばかり言っても何も変わらないじゃん」――そのようなニヒリズムが「ナチスの手口に学ぶ」(麻生太郎副総理)と公言する暴走政権を支えているのである。

 「国中がガラスのドームの中に閉じ込められたようだった。私たち自身が巨大な強制収容所にいた」。ナチス政権下のドイツをポムゼルはこのように表現する。では今の日本はどうなのか。強制収容所は大げさとしても、「ガラスのドーム」は完成間近なのではないだろうか。

 映画を観たある編集者が語ったように、私たちは皆、多かれ少なかれポムゼルなのかもしれない。だが、「私は何も知らなかった」という言い訳だけはしたくない、してはいけないと思う。青臭くて結構。それが「正義なんてものはないわ」という老ポムゼルへの返答である。  (O)

・岩波ホールほかで公開中

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