2018年07月27日 1536号

【非国民がやってきた!(286) 土人の時代(37)】

 遺骨問題は日本やアメリカだけではありません。植民地支配がなされ、植民地主義に立脚した植民学や文化人類学が「学問」として成立した時代には、どこでも起きた問題です。近代西欧における骨相学、犯罪学、形質人類学などの疑似学問が植民地主義と人種主義を世界化しました。

 イギリスの多くの関連施設にも歴史的な人骨が膨大に保管されています。その多くはイギリス由来とされていますが、海外の先住民族の遺骨もあり、大英帝国時代に収集されたものです。アメリカと同様、イギリスでも遺骨を返還するための法律が制定され、遺骨の正当な子孫からの要請があれば返還することになり、実際に返還されています。

 イギリスの多くの施設には全地球規模で、数世紀に及ぶ植民地化の結果として、諸外国由来の文化財や人骨が保管されています。15世紀にさかのぼることのできる遺骨もあります。

 特に増えたのは19世紀のことで、植民地支配の下で多くの諸国から遺骨が運び出され、イギリスに持ちこまれました。19世紀には医学、生物学、形質人類学などの「学問」が発展したため、人類の起源と発達を解明するためとか、「消失した人種」の存在を探求するために研究が盛んとなりました。各地の博物館から持ち出されたものもあれば、先住民族から購入したもの、先住民族の同意なしに持ち出されたものもあります。権力を用いて、強要、詐欺、不法な移動、殺害など非倫理的な方法が用いられたこともあります。被植民地人民には植民地状況における権力関係の下、抵抗することができませんでした。

 イギリスの関連施設にどれだけの人骨が所蔵されているか、公式調査も非公式調査もなされていません。2009年7月の情報によると、博物館・図書館委員会による調査では148施設に人骨が所蔵されているといいます。その多くはイングランドの施設です。調査に回答した146施設のうち、60施設によると、人骨は1500〜1947年の時期に海外から収集されたといいます。13施設によると、33件の人骨返還請求を受け取っており、27件はオーストラリアの共同体、5件はアメリカの共同体からの請求です。33件のうち20件は大英博物館、自然史博物館、王立軍医学校の3施設です。調査時に、7件については返還が決定し、5件は保留中、13件は法律による禁止のため返還拒否、8件はその他の理由で拒否です。イングランドの10施設がすでに返還したか、返還に同意していました。

 人骨に関連する法律は2004年の人体組織法です。21世紀初頭以来、先住民族の共同体がイギリスの施設にある人骨の返還を求めてきましたが、法的障害がありました。というのも、国立博物館は所蔵品の処分を法的に規制されています。イギリス法では所有権の概念(客体)に人骨が含まれません。返還請求者も博物館も人骨についての所有権を主張することができません。人骨に関する非所有の原則と文化的差異のゆえに、人骨の返還が困難でした。

 2000年、イギリスとオーストラリアの首相が会談して、人骨返還に向けて努力を強化するという共同宣言を出しました。この宣言に基づいて、美術大臣が人骨に関する作業部会を設置し、公的資金による博物館やギャラリーの所蔵品における人骨の実情を調査し、この問題に関する法律問題を検討することにしました。作業部会は遺骨返還に関する法律問題を検討し、1998年の人権法に照らして、遺骨返還を強制する法律の制定が可能であると報告しました。1998年の人権法は、イギリスが欧州人権条約を批准した際に、条約の国内法化のために制定された法律で、憲法に準じる位置にあると考えられています。

 作業部会の勧告を受けて、政府は2004年の人体組織法の下で、返還が適切であると考えられ、1000年以内に死亡したと考えられる人骨について、7つの国立博物館にその所蔵品から除外することを可能にしました。政府はその他の博物館等についても返還を容易になしうるようにしました。

 2004年の人体組織法は、人体組織の人物の同意がなければ、調査や公開展示などの活動のために遺骨を移動、保管、保有することを禁止しました。ただし、同意要件は既存所蔵品、輸入品、100歳以上の人物には求められません。このため先住民族の遺骨の大半が法律の範囲外に置かれました。

 なお、2007年の裁判所及び執行手続法は、海外からイギリス内の博物館に賃貸された所蔵品についての裁判所による執行からの保護措置を定めているため、人骨にもこれが適用されます。
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