2018年07月27日 1536号

【米軍機はなぜ落ち続ける/沖縄が抱える「荷物」の重さ/宮森小ジェット機墜落から59年】

 1959年6月30日、沖縄の嘉手納基地を発進した米軍ジェット戦闘機が石川市(現うるま市)の住宅地に墜落し、機体が宮森(みやもり)小学校を直撃。死者18人(後遺症で亡くなった1人を含む)、負傷者212人という甚大な被害をもたらした。

 この惨事を記憶に刻もうと、「宮森・630を伝える会」とジュゴン保護キャンペーンセンター、原爆の図丸木美術館でつくる実行委員会は7月7日、東京の明治学院大学で「沖縄のつどい〜米軍機はなぜ落ち続ける〜沖縄問題を『本土』から考える」を開いた。

 第1部は「主権なき国家のひずみ」と題した沖縄タイムス政治経済部・福元大輔さんの講演。「米軍機事故の現場を日本側が捜査できないのは日米地位協定が壁になっているから」と切り出し、「(地位協定の運用について協議する)日米合同委員会は外務省北米局長と在日米軍副司令官がトップ。ここで決まったことは国会の同意も地元の合意もいらない。辺野古の海も工事開始直前に日米合同委員会で『臨時制限区域』と定められ、常時立ち入り禁止になった」と指摘する。

 こんな紙芝居を紹介した。―山登りの遠足。クラスメートが身軽に歩く中、最後尾の“沖縄さん”は山ほどの荷物を抱えている。大半は虫よけスプレーやクマ対策の鈴など全員の安全のために必要と先生が詰め込んだもの。沖縄さんが「分け合って持ちませんか」とお願いするのはわがままだろうか。せめて右腕からこぼれ落ちそうなリュックサックだけでも誰かに持ってほしい。でも、クラスメートは振り向いてくれない。沖縄さんに先生が提案した。「右腕がつらいなら左腕に持ち替えなさい」

 福元さんは問いかける。沖縄さんが抱える荷物は本当に必要なものなのか。沖縄さんだけがこれほどの荷物を抱えていることがいいことなのか。右腕から左腕に持ち替えれば解決するのか。そして、「沖縄の問題の本質は単純明快。米軍基地が多すぎる。これだけだ」ときっぱり語った。

軍隊は住民を守らない

 第2部では、「伝える会」の牛島貞満さんが戦後日本の米軍機事故の年表を示しながら、「まず戦争の目標があり、そのための訓練がある。米軍の反人道的体質は宮森小から今まで一切変わっていない」と批判。明学大国際平和研究所の秋山道宏さんは1968年11月のB52墜落事件から「人びとの根源的要求は『軍事/軍隊の論理』の拒否にある」ことが見えてくると話す。

 続くパネルディスカッションでも、「自衛隊も離島奪還訓練などやっている。そこに住民はいない。『軍隊は住民を守らない』沖縄戦の体験は今も同じ」(牛島さん)「復帰後、米国で沖縄の基地削減が議論されたが、日本の防衛官僚が『地上兵力がいなくなってはいけない』と引き止めた。以降、思いやり予算が膨らみ続けた」(福元さん)などの発言が続いた。



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