2018年10月19日 1547号

【未来への責任(259)今こそ日韓市民の連帯を(上)】

 韓国人が日本国や企業を相手に起こした戦後補償裁判は約47件ある。なかでも元日本軍「慰安婦」、元BC級戦犯、そして私たちが関わってきた元徴用工等(強制労働)、元軍人軍属関係(シベリア、靖国含む)など、強制連行や日本軍に関わる請求のほとんどが退けられ、未解決のままとなっている。

 なぜ解決できていないのか。裁判で請求が退けられた理由には、時効論、別会社論(戦後に、旧会社と新会社に分離)、国家無答責論などもあげられるが、最終的には「日韓請求権協定で解決済み」論(=請求権自体は消滅していないが、訴求する権能が失われた)で棄却された。その意味で、1965年の日韓条約・協定に合意した日韓両政府の責任は重い。

 交渉は米国の強い“圧力”の下、足かけ15年に及んで「合意」に至り、日韓の国交は正常化した。65年は、米国のベトナム戦争介入が本格化した年であり、2月に米国は北爆(北ベトナム爆撃)を開始していた。日韓の植民地支配認識を巡っていかに隔たりがあっても、ベトナム戦争が激化する中で、アジアの反共冷戦体制を固め、ベトナム戦争に“勝利”する態勢をつくりだすことを最優先したのだ。

 こうして結ばれた日韓基本条約は、妥協の産物であり、植民地支配責任は曖昧にされた。条約前文では「両国民間の関係の歴史的背景と、善隣関係及び主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望とを考慮し」、条約締結を決定したと規定。肝心な「歴史的背景」とは何か、全く不明にされ、植民地支配をどう総括するのか、どう責任をとるのかについても一切言及されなかった。

 ただし、韓国政府は2000年代に入って過去事清算を進め、強制動員真相究明法、被害者支援法等を制定し、多少なりとも被害者救済に取り組んでいる。

 請求権協定の壁を超えられなかったのは、日本の世論を変えることができなかったためでもある。日本軍「慰安婦」問題に関しても、1995年時点では、この問題を解決すべきと答える人は3分の2程度存在した。しかし、アジア女性基金という方式への批判、歴史修正主義者たちのまき返しの中で、問題解決・被害者救済の世論を維持、広げることができなかった。

 そこでよく引き合いに出されるのが、ドイツとの比較だ。“進んだドイツ”と“遅れた日本”として。強制連行・強制労働問題に関してドイツでは1999年に「記憶・責任・未来」財団設立法により、政府と企業が1対1の割合で資金を出資して財団を設立、その財団から被害国(ポーランド、ベラルーシ等)につくった「受け皿財団」に被害者への補償金を送金し償いを実行して「歴史への責任」を果たした。

 問題はドイツではなぜこのような解決方式を導き出すことができたのか、である。背景に、強制労働被害者であるユダヤ人らの厳しい企業責任追及の闘いがあったことは明白だ。(続く)

(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク 矢野秀喜)

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