2018年11月23日 1552号

【戦場取材は「迷惑」なのか/安田純平さんへの大バッシング/戦争の現実は「知る必要ない」と誘導】

 内戦下のシリアで拘束され、先日解放されたジャーナリストの安田純平さんへのバッシングが止まらない。「軽率な行為で国に迷惑をかけた」と言うのである。ジャーナリズムの役割を無視した妄言というほかない。真実を知ることは民主主義の根幹ではないか。なぜ日本では、こうした暴言がまかり通るのだろうか。

取材活動自体を否定

 紛争地域で日本人が人質にされる事件が発生するたびに、日本では自己責任論が噴出するようになった。その発端は占領下のイラクで発生した人質事件だ(2004年4月)。自衛隊撤退を求める世論の高まりを恐れた政府は「退避勧告を無視してイラク入りした3人が悪い」と問題の本質をすり替えた。

 今回のケースでは、安田さん本人が「紛争地に行く以上、自己責任は当然」「自分の身に起きたことは自業自得だと思っている」(11/2日本記者クラブでの会見)と認めている。それでもバッシングは収まる気配がない。

 安田さんの取材活動自体を否定する言説も出てきた。たとえば、橋下徹・前大阪市長は自身のツイッター(10/28付)にこう書いた。「僕が見聞きした安田氏の話は、単に自分自身が現地に行ったというところにしか価値がない。それなら世界の報道機関が報じているもので十分だ」

 ネットの世界では「現地からのSNS発信や動画投稿で十分でしょ」「そもそもシリアの紛争なんて知りたくもない」「必要な情報じゃない」といった主張が幅を利かせている。こういった書き込みを見ていると暗澹(あんたん)たる気持ちになる。このような理屈でジャーナリストが非難される国は日本ぐらいであろう。

民主主義を守る役目

 国際NGO「国境なき記者団」は11月6日、「紛争下にある国々の現場にジャーナリストがいなければ、世論は偏った情報に頼らなくてはいけなくなる」とし、「(安田さんが)謝罪を強いられたことは受け入れがたい」とする声明を出した。

 安田さん自身は紛争地取材の必要性をこう語っている。「戦争は国家が人を殺す決定をするわけです。その是非を判断する材料がわれわれ国民には絶対必要です。当事者である国家から提供されるものだけではなく、第三者から提供されるものがあるべきだと考えています」(11/2・会見)

 別のジャーナリストの意見を紹介しよう。「国家権力は戦場を隠し、うそをつこうとする。だからこそ、政府発表ではない、ジャーナリズムの眼が現場に必要なのである」。これは、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)国内の人権侵害を告発し続けてきた石丸次郎さん(アジアプレス大阪代表)が毎日新聞(11/6付)に寄せた一文だ。

 まったく同感だ。戦争の本質は国家による人殺しだが、それを隠すために政府や軍は「不都合な事実」を闇に葬ろうとする。イラク戦争の例でいえば、米軍は民間人虐殺や捕虜虐待の事実をひた隠しにしていた。日本政府も同じだ。「非戦闘地域への派遣」という虚構を維持するために自衛隊の日報を隠蔽した。

 「大本営発表」をうのみにすることがいかに危険か、私たちはアジア・太平洋戦争の歴史から学んだはずだ。人びとが本当のことを知らなければ、国家権力は必ず暴走する。ジャーナリズムは自由や民主主義を守る重要な役目を担っているのである。

戦争国家づくりの一環

 大手メディアの報道で事足りるという橋下らの主張に対し、パレスチナ取材で知られる土井敏邦さんは「大手メディアがやるべきなのにやらないことを、私たちフリーのジャーナリストがやっている」(バズフィードニュース11/3配信記事)と反論する。「日本の組織メディアは、そこに生きる人々の暮らしが伝わるようなかたちの報道をしない」「人々の感じる痛みを伝えることが、私たちの仕事だ。末娘を失ったお母さんの痛みは、日本のお母さんにも、ちゃんと伝わる」

 安田さんもそうしたジャーナリストの一人だ。彼はかつて、自ら出稼ぎ労働者としてイラク軍基地で働き、民営化された現代の戦争の実態を描き出した(『ルポ戦場出稼ぎ労働者』集英社新書)。世界の貧しい労働者を食い物にしている戦争ビジネスの非道さは日本の非正規労働者にも十分響いたはずだ。

 安倍応援団の文化人やネトウヨ連中が“安田叩き”に熱心な理由はここにある。グローバル派兵に突き進む安倍政権にとって、戦争の痛みを伝えるジャーナリストの存在は目障りでしかない。よって社会的に抹殺しようと、世論を焚きつけているのである。

 これは安田さんのようなジャーナリストだけに向けられた攻撃ではない。情報の受け手である私たちへの恫喝でもある。「安田は反日。安田を擁護する者も反日だ」「迷惑野郎の言うことなど無視してよい」「遠い中東の話など君らの生活には関係ない」「どうでもいいことだ」――一連のバッシングが暗に主張しているのはこれである。

 世の中の不条理を知りながら見て見ぬふりをすることは心苦しい。だから、心にバリアを張ったり、感受性を鈍らせたりする。これは一種の防衛反応なのだが、支配層はそこに付け込んでくる。「それでいい。何も知らないほうが楽に生きられる」と。まさに、悪魔のささやきだ。

 戦争国家はうそをつく。あの手この手で情報を隠す。今回の“安田叩き”もその一環だ。メディアリンチの背後には極めて危険な意図が潜んでいるのである。   (M)



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