2019年02月22日 1564号

【非国民がやってきた!(300) 土人の時代(51)】

 松島泰勝は「学知の植民地主義」を問います。

 2017年5月に京都大学総合博物館に申入れをしましたが、京都大学は全面拒否しました。所蔵「標本」の実見も利用も拒否しただけではなく、それ以上の質問への回答を拒否する通知です。さらなる問い合わせに対して、「個別の問い合わせには応じておりません」。この繰り返しです。

 琉球新報、沖縄タイムス、東京新聞、京都新聞が取材を始めましたが、いずれも拒否されました。

 「日本国民からの一切の取材、質問、要望への回答を拒否することは、国民の税金で運営されている国立大学として許されない。京大が、日本国民、特に日本の植民地になった琉球の人々から同遺骨に関する問合わせを無視することは、『植民地主義的な対応』であると言える。このような対応は、日本国憲法二一条の『知る権利』にも反している。」

 2018年8月、松島は京都大学法人文書の情報開示を求めました。担当職員は「清野コレクションに係る文書は清野個人のものであり、京都大学とは無関係であるため、情報公開の対象にはならない」と詭弁を弄しました。

 松島からの問合せと質問に対して、京都大学は「回答しない理由も回答しない」というかたくなな姿勢を変えていません。

 2018年1月、琉球大学で行われた「東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会」のシンポジウムにおいて、「琉球人・アイヌ遺骨返還問題にみる植民地主義に抗議する声明」が採択されました。

 2018年2月から3月にかけて、照屋寛徳議員は京都大学に公開質問状を送りましたが、京都大学はこれにもまともに応じませんでした。

 こうした状況を前に、松島は遺骨返還問題の歴史と現状を徹底調査し、アイヌ民族や琉球民族と協力して遺骨返還運動を展開し、その成果を著書として出版にこぎつけたのです。

 京都大学(総合博物館)の対応は2つの点で整理できます。

 第1に、日本の国立大学及びその関連施設が持つ閉鎖性と特権性です。権威主義もあります。

 松島は、京都大学総合博物館の運営に税金が用いられてきたことを踏まえて、国民に対する説明責任があることを明確に指摘しています。ところが、日本の国立大学には国民に対する説明責任もなければ、税金を用いていることへの責任観念もありません。何も遺骨問題に限りません。中には、地域社会に開かれた大学づくりが意識され、図書館をはじめとする施設の開放が進んでいるところもありますが、一部にとどまります。

 例えば、私はレイキャビクのアイスランド国立図書館に立ち寄った際、事前にアポを取ってないにもかかわらず、受付でパスポートと勤務先の身分証明書(日本語のみ!)を提示しただけで、施設内立ち入りを許可され、2日間にわたってアイスランド政治史を調査研究することができました。スイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、フィジー、ドミニカの国立図書館や博物館で同じ経験をしています。日本の国立大学にはこのような対応を期待することは難しいのです。

 第2に、植民地主義です。

 かつて「植民学」の拠点だった北海道大学がアイヌ民族に対して植民地主義的対応をしたのと同様、京都大学も琉球民族の要望を頑迷にはねつけます。大日本帝国時代に形成され、この国に骨がらみ染みついた植民地主義は、戦後の民主的改革にもかかわらず、克服されることなく生き延びました。植民地主義があまりにも「自然」に根付いているため、「植民地主義的だ」と言う批判を受けても、その意味を理解せず、自覚できないほど、日本植民地主義は微動だにしていないのが実情です。

 閉鎖性、特権性、権威主義、植民地主義が折り重なって、京都大学は、松島に対する侮蔑的対応を堂々と続けていると考えられます。学問が人類の共有財産であることへの責任観念もなく、日本国民に対する説明責任さえ理解しないのが日本の大学と言うことができます。
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