2019年03月15日 1567号

【未来への責任(269)三・一朝鮮独立運動の先駆性】

 外務省はホームページに日本人の海外渡航に関する「海外安全情報」を掲載している。三・一朝鮮独立運動100周年に関わって「ソウル、釜山、済州をはじめとする各都市において、市民団体等によるデモ等が行われる可能性があるので最新の情報に注意し、デモ等が行われている場所には近づかない等慎重に行動し、無用のトラブルに巻き込まれることのないようご注意ください。万が一、被害に遭った場合や他の邦人が被害に遭ったとの情報に接した場合には、大使館又は総領事館にご一報ください」との文面で流した。そして文在寅(ムンジェイン)大統領が三・一節で行った演説で引用した朝鮮人犠牲者の数「7500人」にもクレームをつけた。嫌韓を煽るヘイト国家ここに極まれりである。日本政府にここまで「反日運動」と目される三・一運動とはなんであったかを改めて考えてみたい。

 日本では一般的に三・一運動は、日本の植民地支配に対する朝鮮民族の抵抗・独立運動であったと紹介される。しかし2月16日に龍谷大学で開催された記念シンポジウムで講演を行った韓国独立紀念館の李俊植(イジュンシク)館長は、三・一運動の本質をこう述べた。「民族の自主独立をめざした民族革命を超えて国民主権に根ざす民主共和国建設をめざす民主革命」であったと。それは三・一独立宣言直後の1919年4月に発表された大韓民国上海臨時政府の掲げる「大韓民国臨時憲章」に表れている。憲章は第1条に「民主共和制」、第3条に「男女貴賎及貧富の階級が無く一切平等」、第4条では「信教言論著作出版結社集会信書住所移転身体及び所有の自由」。第5条に「選挙権及被選挙権」を規定し、第7条では「人類の文化及び平和に貢献するために国際連盟に加入」することを、第9条で「生命刑身体刑及び公娼制を全廃」を規定した。

 日本で男子普通選挙権が認められたのは1925年、女子参政権は戦後のこと。女性に対する人権保障でも、今なお死刑を存続させ都合の悪い国際条約からは離脱する日本と違って国際主義を掲げている点でも、憲章の先駆性は明らかである。

 今年の三・一節で文在寅大統領は「朝鮮半島の平和のために日本との協力も強化していきます。『己未獨立宣言書』は三・一独立運動が排他的な感情ではなく、全人類の共存共生のためのものであり、東洋の平和と世界平和へと歩む道であることを明らかに宣言しました」と述べた。同時に「今日にも有効な私たちの精神」であるとし「過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。歴史を鏡にし、韓国と日本が固く手を結ぶとき平和の時代がはっきりと私たちの側に近づいてくるでしょう。力を合わせ、被害者たちの苦痛を実質的に治癒するとき韓国と日本は心が通じる真の親友になることでしょう」と日本との関係改善の道筋が日本の植民地主義の清算であることをあらためて提起した。三・一運動が掲げた民主主義という普遍的価値を貶める安倍政権を倒さない限り日韓の「未来を変える」ことはできない。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 中田光信)

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