2019年06月07日 1578号

【コラム見・聞・感/若き避難者の苦悩と運動への注文】

 4月26日、札幌で開かれたチェルノブイリデー集会に参加した。事故の起きた日に合わせて毎年開かれているもので、今年で33回目になる。

 3人の方がスピーチをしたが、印象深かったのはやはり福島からの避難者だ。安達和叶(わかな)さんは事故当時、伊達市の中学生。その後、一時山形に避難した後、札幌に移り、現在に至る。

 事故当時、中学校で自分はマスクをしていたが、他に誰もしている人がいなかった。ある日、友達になぜマスクをしているのかと聞かれ、「花粉症もあるけど、(放射能を)気にしているんだよね」と答えると「実は私も」と言われ、その友達と「私たち、ちゃんと子どもを産めるのかしら」と話をした。高校時代は「誰がこんな状況を作り出したの? 私は誰を責めたらいいの? 誰か答えて」と悶々とする3年間を過ごした。未来ある若い女性がこんな心配をしなければならないこの国はいったい何なのか。

 「福島の学校の先生に自主避難することを報告したら、背中を押してくれるどころか風評被害が広がるから行くなと言われた。福島で起きているのは風評ではなく実害。お互いに考え方が異なる中、子どもの前で傷つけ合う大人を見て大人への信頼が崩れ去った」。原発事故が起きて最初に抑え込まれたのは教育現場だ。似た証言は他にもある。

 3・11を福島県で迎え、その後も2年間過ごした筆者にとっても大いに共感した発言だった。責任追及すべき相手は国と東電。福島県民はみんな理解している。しかし彼らを責めたところで3・11前の福島が戻ってくるわけでもなく状況も改善しない。福島に残るか去るか、深まる諦念の中で県民ひとりひとりが自ら判断し、考え方の異なる人とは親しくとも袂(たもと)を分かつしかない。事故から8年、こうして多くの人が引き裂かれてきた。人が生きる基盤である社会関係資本(=人間関係)を破壊したことに対してはまともな賠償もされていない。

 安達さんからは運動への注文もあった。「皆さんが原発反対を訴え続けてこられたことに感謝しているが、一方的に主張を訴えるだけでなく、通行人に聞いてもらえるような工夫も必要」。最近、運動現場で「反対だけでなく対案を」など、旧来のスタイルに対する若い世代からの異議が相次ぐ。この60数年、自民党支配を倒せなかったことを踏まえると、やはり変わらなければならないのだろう。若い世代からの貴重な意見を、自民党を倒せる、さらに新しく広い運動への脱皮のチャンスと捉える柔軟さが必要だ。

       (水樹平和)
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