2019年06月28日 1581号

【本当のフクシマ/原発震災現場から/番外編10/モニタリングポストその後 設置継続を認めさせた住民/被曝隠ぺい政策に大きな風穴】

久しぶりの朗報

 原子力規制委員会は5月29日の定例会合で、2020年度限りで撤去するつもりだった「リアルタイム線量測定システム」(モニタリングポスト)を、一転して、当面、設置し続けることに決めた。更田(ふけた)豊志委員長は「住民の心配が強いと判断した。存続は年単位になる」とした上で、復興特別会計廃止後の予算についても「維持できるよう財源を求めていく」と明言した。

 原発事故以降、被曝基準は1_シーベルトから20_シーベルトへ一方的に引き上げられた。モニタリングポストは空間線量を測定する装置で、県内約3千か所に設置されている。住民にとっては被曝量を知る数少ない術(すべ)だ。原発近隣の12市町村を除き設置をやめる方針が明るみに出たのは18年3月だった。20年度末に財源である東日本大震災復興特別会計が廃止されることが口実だった。

 原発事故と甲状腺がんの関係も「認められない」とする中間報告書がまとめられるなど、福島では被曝受忍や情報隠蔽・改ざんの動きばかりが続いてきた。そんな中、最も基本的な情報である空間線量すら消し去る企てを、市民の力で撤回に追い込んだのだ。福島にとって久しぶりの朗報だ。

普通の母親たちが動く

 約1年前に廃止方針が明らかにされてから、地元の動きは速かった。「モニタリングポストの継続設置を求める市民の会」が結成された。だが中心になったのはごく普通の母親たちだった。市民活動の経験もなく、要請書の書き方も交渉先もわからない。メーリングリストの投稿方法を聞いたことさえある。撤去反対の動機は「自分の目で数字を見て安心したい」「廃炉作業終了まで設置を継続してほしい」。福島で暮らす以上どれも当たり前すぎる要求だ。

 18年6〜11月まで福島県内15市町村で開かれた住民説明会は撤去反対一色だった。「個人的には思いの外、反対の声が多かったという印象ですね」。原子力規制庁の担当官僚がそうこぼすほど根強い反対の声だった。「市民の会」が呼びかけた撤去反対の署名は県内外から3万5千筆が集まった。会津若松、喜多方、いわき、白河の4市は、設置継続を求める市長名の文書を規制委に送付した。会津若松やいわきは「市民の会」が最も活発に活動したところだ。両市を含む県内9自治体の議会に加え、県外から東京都国立市議会、茨城県つくば市議会も設置継続を求める意見書を採択。市民の力が自治体を動かした。

福島市長の本音に猛反発

 福島市長の木幡浩は住民説明会で「モニタリングポストがあることで風評が広がる」と発言、猛反発を受けた。木幡は前職が復興庁福島復興局長。「古巣」の本音がつい出たのだろう。退任後、飯舘村に居を構える田中俊一(前原子力規制委員長)も「これから数値が下がるだけのモニタリングポストは不要。廃炉作業中の事故の心配をしても意味がない」と撤去を主張してきた。だが東京電力は、亀裂が入り倒壊のおそれがある1、2号機排気筒の撤去作業を5月に始めるとしていたにもかかわらず、「クレーンの高さ不足」というあきれた理由で2か月延期している。排気筒の高さもまともに測れない連中のすることを無邪気に信じろと言うほうが間違っている。

報道統制突破した闘い

 モニタリングポストの設置継続が決まった翌日、福島民報、福島民友の地元2紙はいずれも1面トップで決定を報じた。これまで両紙は、特に県民の被曝や健康被害に関することは黙殺か、国・県の主張を垂れ流す「大本営発表」紙の役割を果たしてきた。東京新聞が今年1月に報じた「双葉町の11歳少女が事故直後に100_シーベルトの被曝」というニュースは本来、県内紙こそが真っ先に報じなければならない重大ニュースだ。だが両紙とも黙殺。これを地元月刊誌「政経東北」から「原発事故の被災地である福島県において、地元紙が触れないのは違和感しかない」(19年2月号)と厳しく批判された。

 そうしたメディアの報道統制をも突破した今回の闘いは会心の勝利と言える。トリチウム汚染水の海洋放出計画も住民に加え漁民の根強い反対で止めている。闘えば突破できることを証明したのだから、福島県民にとって今後の心の支えになると筆者は考えている。

 規制委内部ではなおモニタリングポスト撤去を求める声もあり、せめぎ合いが続く。福島県産米の全袋検査を抽出検査に緩和する動きもある。目を離すわけにはいかない。

      (水樹 平和)






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