2005年12月02日発行914号

コトパンジャン・ダム訴訟口頭弁論

【涙流し証言した原告住民】

 「つらさで涙を流した」。11月17日東京地裁で開かれた、日本のODA(政府開発援助)を断罪するコトパンジャン・ダム訴訟第20回口頭弁論で、インドネシアの原告住民エム・ラサッドさんが証言に立った。


 ラサッドさんはダム建設により移転を強いられたバトゥ・ブルスラット村で長らく慣習法指導者の地位にあり、1970年代の終わり頃からこの問題に関わってきた。

 証言でラサッドさんは、移転までの経緯がどれほど住民を苦しめるものだったかを明らかにした。

 住民側は、移転に際し17の要望事項を政府側に求め、ダム建設について「支持」の姿勢を示した。支持の理由を問われたラサッドさんは「当時のスハルト政権下では、政府の決定に住民は反対できなかった。そのため移転してもできる限り住民たちによい結果になるよう望んだ」と語った。

証言したラサッドさん(11月17日・東京)
写真:黄色い民族衣装に帽子をかぶった盛装で立ち、視線を上げる初老の男性

 住民の本当の気持ちはどうだったか聞かれると、「反対だった。受け継いできた財産や慣習法の歴史、祖先の栄光がなくなってしまうと想像できた。しかし、反対すれば、強権的な対応ですべてを失ってしまう」と苦しい胸の内を明かした。

 ラサッドさんが移転したのは96年。移転先を見た時の様子として「家は板張りで、床は少しセメントが使ってあるだけの状態。要望が満たされていないことをまざまざと感じた」と振り返った。さらに、当時を思い出したのか涙で言葉をふるわせ、「先祖代々受け継いでいたものを置き去りにしなければならないつらさで涙を流してしまった」と証言した。

支援もっと広げたい

 被告4者による反対尋問では、政府側から日本政府を訴える理由を求められた。「資金は日本政府から出ているのに、しっかりとコントロールしていなかったからだ」と明快に批判した。

 この日の弁論を振り返り、主尋問を担当した原告弁護団の奥村秀二弁護士は「証言は気持ちがよく出ていて、感動的な話を裁判所に聞いてもらえた。スハルト政権下で反対できなかった当時の政治情勢についても率直に話していただき、この点もとても良かった」と喜んだ。支援する会の鷲見一夫代表は「裁判所としても被害の状況については認めているのではないか。普通に考えれば勝ち筋」とし、今後の支援拡大を訴えた。

 傍聴した支援する会−滋賀の藤井直美さんも「どれほど多くの人がつらい思いをしたかが伝わってきた。その思いが遠い日本に来て裁判するということにつながっていると強く感じた。もっともっと支援を広げていかなければ」と支援の強化を強調した。

 今回の弁論で移転に至るまでの違法性を明らかにする総論実証が終わり、今後は移転による被害の個別立証に入る。次回は来年2月9日。

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