2005年12月16日発行916号

【過去を克服し共生のアジアを 戦後補償団体が一堂に 市民同士の連帯が大切】

韓国の農楽音楽会スタート
写真:写真:ステージの上で踊りを披露

 戦後60年の2005年、小泉はまたも靖国参拝を強行してアジアからの厳しい批判にさらされた。戦後補償の幕引きは許さないと、戦後補償団体が一堂に会して、「過去を克服し共生のアジアを」を掲げた音楽会とパレードが行われた。主催は、戦後60年・過去を克服して共生のアジアをめざす戦後補償共同行動実行委員会。

 12月4日、会場の東京・日比谷公園小音楽堂での音楽会のスタートでは、リズミカルな韓国の農楽に踊りだす参加者の姿も。

 韓国の民主化運動の中で歌われてきた力強い労働歌に体を揺らし、戦争被害者の証言を綴りこんだ組曲にじっと聞き入る。若い女性ソロ「えびのから」は沖縄・辺野古での新基地建設阻止に座り込んだ体験をもとに「みんなの声が一つになれたら / 戦争止める力に必ず変わっていく」とさわやかに歌い上げ、大きな拍手を受けた。

現座へパレードする参加者(12月4日・東京)
過去を克服し 共生のアジアを!の横断幕を先頭にパレード

被害者に謝罪と補償を

 約200人の参加者は続いて、銀座へパレード。アジア各国の「慰安婦」や強制連行被害者らへの補償を求めるプラカードが林立した。傘にはそれぞれ取り組んできた課題を書き込み、「アジアの被害者に謝罪と補償を」など共同のスローガンに唱和して沿道の人々に訴えた。

 「慰安婦」が連行されるありさまを描いた絵を歩道に向かって掲げた20代の女性は「自分にとっての意味を考えて」と通行人に何回も語りかけた。その思いを尋ねると「被害者への補償と名誉回復は当然のことです。同時に、犯罪を過去のこととして認めてしまうことは自分自身の権利を売り渡すことにつながり、戦争に再び行かされることに通じるのではないでしょうか」。

 解散地点でまとめを行ったのは、強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワークの矢野秀喜さん。「戦後60年、私たちの目標はまだ達成されていない。新たな年には共同の闘いをさらに広げていきたい。小泉は、中国とも韓国とも会談ができない状態だ。多くの市民が手を携えて運動を広げることで真の共生を実現しよう」と訴えた。

 続いて731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟の原告団長・王選さんが意気高く発言。「雨の中を一緒にデモができて感動している。皆さんの姿から日本の将来が見えてきた。アジアで共生しようとしたら、市民同士の連帯が一番大切」

 韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会のキム・ウンシク事務局長も「小泉は戦争賛美の靖国に参拝しておいて戦争反対の気持ちと言うが、アジアは認めない。日本の困難な状況の中で行動している皆さんとともに闘う」と連帯を表明し大きな拍手がわいた。

みんなが希望していた

 9月に発足した実行委員会は11月19日のフォーラムを経て、戦後補償運動の総結集の共同行動としてこの日の行動を実現させた。短期間で賛同団体は60まで広がった。「慰安婦」問題に取り組んできた坪川宏子さんも実行委員会に参加してきた一人。「今年、交流してきた親しいハルモニが続けて3人亡くなり、被害者が生きているうちに、と痛切に思いました。戦後60年の最後に、協力して再度訴えたいと思ったのです。戦後補償団体の横のつながりはみんな希望していたことです」

 この日の行動は、戦後補償運動の流れが大きく一つに連携していく方向を示した。

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