2005年12月16日発行916号

【インタビュー / 「つくる会」教科書を阻んだ力 / 上杉聰さん / 日本の戦争責任資料センター事務局長 / 激闘のなか、「薄氷の勝利」 / 原動力は市民の国際連帯】

 来春から中学校で使われる教科書の採択結果が公表された。「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した「歴史」「公民」の教科書(扶桑社発行)は、いずれもごく少数の採択にとどまった。様々な政治的圧力があったなかで、子どもを戦争に導く教科書を阻止した力は何だったのか。そこに見えてきた運動の課題は何か。日本の戦争責任資料センター事務局長の上杉聰さんに聞いた。(11月29日。編集部の責任でまとめました)

上杉聰さん
写真:

多かった僅差の阻止

◆教科書採択の結果をどう見 ておられますか。

 文部科学省が発表した数値によると、「つくる会」教科書の採択数は「歴史」が4912冊で採択率0・39%、「公民」は2338冊で0・19%にとどまりました。

 栃木県大田原市や東京都杉並区などで「つくる会」教科書が採択されましたが、全体でみると彼らのもくろみは挫折しました。「つくる会」の八木秀次会長(高崎経済大学助教授)は「惨敗である。私たちが掲げた目標の10%には今回も遠く及ばなかった」と敗北を認めています。

 とはいえ、彼らの「惨敗」が、すなわち私たちの「大勝利」というわけではありません。実態は激闘のなかの「薄氷の勝利」だったことをおさえておく必要があります。

 教育委員会(5〜6人)の採決において、2対3などの僅差で「つくる会」教科書を阻止したところがかなりありました。県段階では埼玉県教育委員会、市町村採択区では帯広市、栃木市、江東区、調布市、鎌倉市、枚方市、新居浜市などです。

 これらの地区が「つくる会」教科書を採択していたら、採択率は2〜3%に達していました。実際、そう予測した教科書会社もありました。

◆「つくる会」教科書の採択 を最小限に押しとどめた力 は何だったのでしょう。

 今回は文部科学省のトップが「つくる会」を公然と支援し、都道府県段階の教育委員会も「つくる会」教科書の採択を有利にする動きを起こしました。ですから、「東京では約半数、愛媛県ではほぼ全域で採択が見込める」との期待を「つくる会」は事前に抱いていたのです。

「反日デモ」の影響力

 こうした政治的・行政的圧力のなかで採択を0・39%におさえたエネルギー源は、何と言っても3〜4月の韓国・中国における「反日」デモでしした。小泉首相の靖国神社参拝や日本の国連常任理事国入り、そして歴史教科書問題に対する韓国や中国民衆の強い抗議の声ですね。その上で、日本の市民運動が頑張り、韓国の教科書運動本部や自治体、さらには労働組合や市民団体などから、採択中止の要請、地元紙への意見広告など、多様な取り組みがなされました。韓国の運動と日本の市民団体の緊密な連絡は4年前(前回の採択時)にはなかったことです。

 日本や韓国の反対運動の側にも「反日デモなんかすると、日本をナショナリズムの側に追いやるのでは」という声がありました。だけど、間違ったことに対して黙っていたらそれで終わりでした。やはり声を上げなくちゃいけなかった。

 危なかった愛媛県での勝利要因は、地元の市民団体が積み重ねてきた裁判などによる法的措置のプレッシャーでした(注)。これが教育委員会へのブレーキとなり、大方の予想を覆して市町村段階でゼロ採択を勝ち取ったのです。こういう運動をもっと積極的に行っていく必要があります。

 総じて、韓国や中国からの抗議、それに応えた日本の市民の取り組みが、教育委員会に「反対の声を無視して『つくる会』教科書を採択すれば、国際的にも国内的にも大きな問題になる」という認識を抱かせ、教育の自立性を守る慎重な姿勢をとらせたのです。

◆今回の闘いのなかで見えて きた「つくる会」反対運動 の側の課題は何ですか。

 採択阻止の取り組みを効率的に行えたのは運動の成果ですが、反面広がりに欠けるところがありました。これは教科書問題をほとんど報道しなくなったマスコミの影響が大きいのですが、普通のお母さんや若い人の関心を得るまでには至りませんでした。

広がりに欠けた面も

 「つくる会」は、現状では自民党の中でさえ多数派になれない存在です。安倍晋三(自民党幹事長代理=当時)が「つくる会」支援の号令をかけても実際に動いた下部組織は少なかったように、皇国史観の教科書では自民党右派にしか受け入れられない。

 その教訓から、今回反米主義と決別したように、彼らはまたモデルチェンジしてくるでしょう。もっと現在の自民党路線に沿った「自民党教科書」にするという方向性が出てくると思います。

 そうしたとき、私たちの運動が裾野の広がりを欠いたままなら、次の採択時は本当に危ない。しかし勝つこともできる。そのためには今回の闘いの成果と課題をきちんと総括し、私たちの運動の強さを伸ばすとともに弱さを克服していかなくてはいけない。

 「つくる会」教科書の採択率だけにこだわるのではなく、教科書全体の右傾化に対抗し、教科書の内容に踏み込んでいくような大衆的な広がりをもった運動もつくっていくことが必要でしょう。

 教育内容に関して言えば、若い人たちに届くような読み物を共同でつくることを考えなければなりません。具体的には、反戦平和をテーマにした文学作品の教材を日本・中国・韓国の3国共同でつくるとか。社会科でなくてもいいんですよ、国語でもいい。

 日本がアジアでどれだけの人を戦争で殺したのかということを日本人の多くが実感できていません。そういう基礎的なことをやさしく心に訴えるやり方でアピールするのが一番必要でしょう。それが運動の地盤になります。

歴史認識の闘いを

 また、日本社会全体の歴史認識を変えていくことです。いろんな可能性が出ています。韓国が真相究明委員会を立ち上げて様々な要求を日本政府に対して出しています。その中の強制連行の調査で、約1万6千人も朝鮮人を徴用していた麻生太郎外相の会社(麻生セメント / 旧麻生鉱業)が資料を提出していないことが明らかになりました。

 強制連行被害者の実態を明らかにさせ、それを教科書に載せろと要求していく。補償や賠償の前提のためにも、そうした歴史認識の闘いをやらなければならない。それから4年間という期間を利用し、次の局面に向けて、日本人が頑張らないといけない。

 でないと、韓国や中国の人たちが「日本人はもうだめだ」となってしまう。期待がなければ、「反日」デモも、日本への働きかけも起きませんよ。「日本人にもこういう人がいるからがんばりましょう」となるから、国際連帯が成り立つのではないでしょうか。

◆ありがとうございました。

注・えひめ教科書裁判とは

 2001年度の教科書検定で愛媛県教委が扶桑社の歴史教科書を採択したことに対し、2002年5月、市民グループが採択の無効確認を求め提訴。同年7月には、県知事が教育行政に介入したとして、損害賠償や教科書採択の違法確認を求める裁判を起こした。今回の採択をめぐっても提訴が準備されている。

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