2006年11月24日発行962号
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(翼を)

(8)【母の再婚】

韓国戦争後、母の心の中にも大きな変化が起きました。これからも一人で生きていかねばならないのか、と。

その頃、近所のおばさんが母に「夫(父)はもう帰って来ないだろうから早く再婚しなさい」と促していました。私が生まれて初めて憎んだ人は実はそのおばさんです。祖母のそばで幸せな日々を送っていたので、変化が起こることに抵抗があったのです。

母の再婚後の家
写真:母の再婚後の家

おばさんが私を指差して母に「娘がいたって、嫁に行けばあんた独りになるのだから早く結婚したほうがいい」と言うのを聞き、すごく憎く感じました。おばさんが家に来ると、私は早く帰らせようとドアをわざとバタバタ開け閉めしました。おばさんは気がつかないようで、「この子は何でこうなんだろうね」と不満を言っていました。

私が10歳の時、母は再婚し新しい父と一緒に住むことになりました。再婚に踏み切ったのは、私が女だったこと、父方の実家が私たちの面倒を見てくれなかったこと、私の将来のために家族という環境が必要と考えたからです。

韓国の慣習では、一度嫁に出たら元の家には戻れない。一方、代を継ぐ承継権は女性にはなく、男の子のいない家庭は差別される。そんな中で、母は父方の実家にも母方の実家にもいづらかったのです。

 再婚のためには戸籍を整理しなければなりません。父を変死として扱うかどうか、大変もめたようです。今も戸籍はそのようになっています。

祖母は、私を自分の元に置いておくほうがよいと考えたようですが、母は私を連れて行くことを再婚の条件にしたそうです。

それまで全く知らなかった人をお父さんと呼ばなければならない。学校で父の名を書く時、私の姓とは違う金という姓を書かなければならない。その時ほど、父がいない悲しみを感じたことはありません。学校が終わっても、わざとすぐには帰りません。ウロウロしていて遅く帰り、母に叱られたものです。

 母には言えない悲しい気持ちを祖母に明かしました。祖母からは「お前がお父さんと呼ぶことで、お母さんが楽に生きていけるんだよ」と諭されました。「お前が悪いことをしたらお母さんに迷惑がかかる」とも言われていたので、おとなしくしていました。

再婚相手は母より14歳年上。2人いた娘を嫁に出してから母と結婚しました。非常に短気で、よく母と喧嘩していました。その姿を見て、なぜそんなにしてまで一緒に暮らさなければならないのか、と思いました。

私が「2人の生活で十分だったのに。大きくなったらいろいろしてあげるから」と言うと、母は泣きました。一緒に泣きました。

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