2008年10月17日発行 1055号

【無防備条例実現の展望示した 尼崎市 議会審議 参考人招致で実質審議】


 直接請求署名にこめた市民の平和への願いの力で議会を動かし続けた兵庫・尼崎市の無防備平和条例制定運動。10月2日の本会議で否決となったが、尼崎市 の取り組みは、条例化実現への道筋を示す貴重な成果を残した。

 本会議で否決

 議会の審議を振り返ってみよう。

 「尼崎市に平和無防備条例をめざす会」が15632筆(有効数13913筆)の署名とともに市長に本請求したのは、6月27日だった。

 以降、結論が出るまでに3か月以上を要するという緊張した議会審議が実現された。これは市民の声が議会を動かしたことの証しであった。

 市長が議案を提案したのが7月11日。議会最終日の最後にすべりこませたもので、審議は総務消防委員会に付託、請求代表者の意見陳述も委員会で、という 不当なものだった。しかも、市長の意見は尼崎で初めての直接請求への敬意の言葉もなく、「本条例案は実効性がない」とあっさり切り捨てた。

 会は直ちに抗議し、議会各会派への要請を繰り返した。その結果、7月23日の総務消防委員会は意見陳述は請求代表者5人で30分としたが、5人全員を参 考人招致するという画期的な決定をした。

 8月19日の総務消防委員会で行われた意見陳述と参考人質疑は、条例案の内容を掘り下げる実質審議を実現。逆に市長や市当局が厳しく追及される場となっ た。この日採決は行われず、さらに慎重審議をすると継続審議となった。

 9月29日の総務消防委員会はわずか9分間の討論で少数否決。10月2日の本会議でも否決となった。

不十分な平和施策

 本会議の討論は、市の平和施策が極めて不十分であることが指摘されたこと、保守系議員の反対討論がなかったことが大きな特徴であった。反対議員の「無防 備地域は侵略、占領を無抵抗に受け入れるもの」「外患誘致、内乱罪だ」などの意見は、すでに参考人審議で反論を受けていたからだ。

 一方、賛成討論は、国の見解に追随し「実効性はない」とする市長見解を見事に論破するものだった。とくに特殊標章問題だ。国民保護計画では避難所などに 特殊標章を交付する権限が市長にある。軍民分離の非武装地帯は攻撃してはいけないというものだ。市当局は「避難所は狭い場所。無防備地域は広いエリアだか ら無理」と言い逃れしていたが、「虹と緑」会派の議員は「場所の大きさ、小ささの問題ではない。市民の安全を守ることを最優先すべき自治体の責務として、 軍民分離の思想がもっとも有効だ。無防備4要件も、軍民が分離されているかどうかにかかっている。市長は積極的に軍と合意を求めるべきだ」と市を批判し、 条例案に賛成した。

 これも、意見陳述と参考人質疑で、沖縄戦の教訓から「住民保護のためには軍民を分離することが必要である」ことが浸透し、大勢となっていたからである。

 共産党議員は反対した。その論理は「戦争が起こったときの措置であるジュネーブ条約を根拠にしているから」。かつて国会で共産党として追加議定書批准に 賛成したにもかかわらず、ジュネーブ条約が悪だからと、国際人道法の意味や戦争違法化の歴史の流れへの無理解を深化させた。

敗北したのは市長

 「尼崎市を非戦の街に」市民平和条例は否決されたが、議会審議を通してもっとも批判されたのは、市長意見書であり市の平和施策であった。一番の敗北者は 「市民派」と言われた市長であった。

 逆に、無防備地域宣言への賛成は大きく広がった。共産党議員団の反対にもかかわらず、賛成議員は42名中6名と広がったのである。

 無防備条例制定運動はさらに全国各地に広がっている。実質審議を実現させること、そのために参考人招致が必要なこと、とくに市長が反対意見書を出した場 合は必ず参考人質疑をさせること、議員との学習会や勉強会を粘り強く展開すること、など尼崎市の取り組みが全国に発信したものは大きい。
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