2009年09月18日発行 1100号

【週刊MDS版「そうだったのか、政権交代」 世界史上の大転換 拒否された新自由主義路線】

 今回の衆議院選挙では自民党が惨敗を喫し、政権交代が起きた。この歴史的事件ををどうみるべきなのか。要望に応え、わかりやすく読み解いていきたい。題して、週刊MDS版「そうだったのか、政権交代」。

 総選挙の結果について、マスメディアは「自民党政権に対する不信任」という見方をしています。たとえば、読売新聞はこう言います。

 「小泉内閣の市場原理的な政策は、『格差社会』を助長し、医療・介護現場の荒廃や地方の疲弊を招いた。(中略)構造改革路線の行き過ぎ、指導者の責任放 棄と力量不足、支持団体の離反、長期政権への失望と飽きが、自民党の歴史的敗北につながったと言えよう」(8/31社説)

 間違いではないけれど、この分析では視野が狭い。今回の政権交代は世界史の大転換という文脈でとらえないと、その意義がみえてきません。キーワードは新自由主義の終焉(しゅうえん)です。

貧困と失業の「自由」

 小泉内閣以来の「構造改革」路線とは、新自由主義の考え方にもとづき国や経済の仕組みを変えていく、というものでした。新自由主義の「自由」とは、多国籍巨大企業(グローバル資本)にとっての「自由」のことです。

 18〜19世紀の「自由競争」の時代には、企業は労働者の雇用、賃金、労働時間などを「自由」に決めることができました。10歳にならぬ子どもさえ、一日18時間労働でこき使いました(マルクスが『資本論』で分析した世界ですね)。環境破壊など気にもしませんでした。

 その後、労働者・市民による権利要求の運動が高まり、国家は野放図な企業活動を規制せざるを得なくなっていきます。労働者保護の法律、福祉や公教育を支えるための税負担などがそうです。

 グローバル資本はこれが嫌でしょうがない。規制や負担に縛られず、カネ儲けのためなら何でもできる「自由」がほしい。80年代後半から世界を席巻した新自由主義「改革」は、こうしたグローバル資本の欲望をかなえるための国家改造運動でした。

 願いがかなったグローバル資本は巨万の富をため込みました。一方、弱肉強食の世界に投げ込まれた人々が直面したのは、失業であり貧困です。派遣労働者が 簡単に首を切られ、社会の支えもなく路頭に迷う。19世紀に逆行したかのような状況です。環境破壊も地球規模で進みました。

変革の流れが日本に

 しかし、人類の生存すら脅かすシステムが長続きするはずがありません。金融危機に端を発したグローバル恐慌は、まさに新自由主義システムの破綻を物語っています。そして、「こんな社会は変えないといけない」という声が世界中に広がっていきました。

 昨年、新自由主義の総本山というべき米国の大統領選挙で大きな変化が起きました。戦争に明け暮れ、マネーゲームを野放しにして国民生活を破壊したブッシュ政権の路線が否定されたのです。

 日本の政権交代もこれと同じ現象です。小泉「改革」の推進者たちは「規制をなくせば、企業が潤い、みんなも豊かになる」と言ってきました。でも、それは 嘘でしたね。嘘つきの自民党・公明党がどうなったのかは、総選挙の結果が示しています。有権者は新自由主義に対する「ノー」の意思を今回の投票行動であら わしたのです。

運動が政治を決める

 ただし、民主党は基本政策では自民党と大差ない新自由主義の政党です。政権交代の意義がわかりにくくなっているのはこのせいです。

 そもそも、民主党はグローバル資本が主導した「政治改革」によって生まれた政党です。90年代以降、日本の支配層は、小選挙区制の導入を柱とした「政治改革」を進めてきました。その狙いは、どんな政策でも遂行しうる政治体制をつくることにありました。

 具体的には「政権交代可能な2大政党制」です。国民の厳しい批判を受けて時の政権が倒れても、別の勢力が新自由主義「改革」を引き継ぐようにしようとしたのです。

 「民主党対自民党」という現在の政治状況は、形の上では支配層が構想した2大政党制そのものです。でも、悲観する必要はありません。新自由主義に対する批判票を集めて大きくなった以上、民主党はそうした声に配慮せざるを得ません。民意を無視して政治はできないのです。

 民主党が新自由主義路線から逸脱しないように、支配層はマスメディアを通じて様々なプレッシャーをかけています。「日米同盟を堅持せよ」「野党時代の主張にとらわれるな」(9/3「読売」社説)とか、「消費税論議を封じるな」(9/4「朝日」社説)といった論調ですね。

 対する私たちはどうすべきなのか。簡単です。戦争と貧困をもたらす新自由主義政策を許さぬ運動をあらゆる地域、生活の全分野で広げていけばいいのです。政治を動かす力は私たちが握っていることを忘れないでください。

 先に、新自由主義の終焉と書きましたが、正確には「終わりの始まり」と言えましょう。新自由主義を根本的に転換していく大きなチャンスが今、訪れたのです。
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