2009年12月25日発行 1114号

【JR西日本尼崎脱線事故 JR西3社長、再び不起訴 107人死亡の最高責任者を免罪】

  2005月4月25日、JR福知山線塚口〜尼崎間で列車が脱線・転覆し、乗客・運転士107名が死亡した「尼崎事故」について、神戸地方検察庁は12月4 日、遺族・負傷者らの再三の要望に応えることもなく、JR西日本の井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の歴代3社長に対し再び不起訴の決定をした。この決定は、 国鉄民営化を至上とする支配権力とJR資本に屈し正義を捨てた不当なものだ。

アリバイ作りの再捜査

 そもそも今回の再捜査は、神戸地検が3社長を不起訴としたことに対し、遺族・負傷者らが検察審査会法に基づいて神戸第一検察審査会に行った審査申し立て を受け、同審査会が起訴相当を議決したことに始まる。神戸地検は、検察審査会の起訴相当議決を重く受け止め、3社長を起訴できるよう積極的捜査を行う義務 があったにもかかわらず、そのような跡はまったく見られなかった。神戸第一検察審査会による起訴相当の議決は今年10月22日のことであり、それからわず か1か月半でのスピード決定は、神戸地検の再捜査がアリバイ作りに過ぎないことを明らかにした。

利益最優先の3社長

 尼崎事故は、神戸地検のいう「嫌疑不十分」などでは決してなく、井手ら3社長こそ107人死亡の最高責任者である。

 「同業他社を凌(しの)ぐ強い体質づくり…私たちは、常に創意工夫に努め、同業他社を凌ぐ強い体質づくりに、持てる力の全てを発揮します」。87年、JR西日本発足当時に策定された「経営理念」に、当時副社長の地位にあった井手の意向が強く働いていたことは間違いない。

 南谷は、会社発足と同時に人事部長となり、井手が基礎を築いた締め付けと強権的管理を引き継いで、今日に至る「日勤教育」を形作った。また、井手の後を 受けて社長に就任後は、JR西日本の政府保有株式売却による完全民営化に力を注いだ。「株式会社としてきちんとした経営をやった方が利用者や株主のために なるというあるべき姿を示す」(97年7月14日付「京都新聞」)という南谷の言葉こそ、むき出しの民営化の本質をよく表している。

 97年にはJR東西線が開通。この時、線路が付け替えられ、後に尼崎事故を生むことになる半径300メートルの急カーブができた。井手会長―南谷社長は 安全性をまともに検証することもなく、京都駅ビル改装などの「エキナカ(駅中)プロジェクト」に狂奔した。このプロジェクトに対しては「古都の景観を損ね る」として地元から強い反対の声も挙がっていたが、2人はそれを無視して京都駅ビルの改装を強行した。その後、99年6月と10月には、山陽新幹線でトン ネル外壁崩落事故が相次いで発生した。このときも井手、南谷は抜本的な安全対策を講じなかった。

 こうした利益最優先、安全軽視の経営方針が、強権的企業体質とあいまって2002年の救急隊員ひき殺し事故や尼崎事故につながった。それはまさに国鉄民営化犯罪と呼ぶべきものである。

再度の審査で起訴を

 神戸地検の不当決定によっても、3社長らの刑事責任追及の道が絶たれたわけではない。今年5月に施行された改正検察審査会法では、検察が2度目の不起訴 を決めた事件について、再審査の結果、検察審査会が再び起訴相当を議決すれば、告発を受けた者が自動的に起訴されることになっている。国鉄民営化犯罪であ る尼崎事故と、検察の不起訴処分に対する怒りは満ちており、再度の起訴相当議決を勝ち取ることは十分可能だ。

 山崎前社長らが、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(旧事故調。現・運輸安全委員会)委員らに接触し、事故報告書の内容を不正入手していた事件に関 し、遺族らがメンバーに加わった事故報告書の検証作業も始まった。遺族・被害者らと手を結び、歴代社長らの責任を追及しなければならない。
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