2010年07月16日発行 1141号

【県内初の「慰安婦」決議 読谷村議会で意見書採択 沖縄「恨之碑」前で追悼とサルプリ(鎮魂)の舞 「韓国併合」 100年に刻む民衆の連帯】

村長が追悼の辞

 沖縄戦の組織的戦闘が終結した6月23日の「慰霊の日」。その前日の22日、読谷村議会は、県内では初めてとなる「慰安婦」問題解決に向けた意見書を採 択した。意見書では、朝鮮半島から連れて来られた「軍夫」のことも触れられている。村内には、「慰安所」や軍夫が存在した戦争遺跡が数多く残されている。

 沖縄で強制連行・朝鮮人軍夫の問題に取り組むNPO法人「沖縄恨(ハン)之碑の会」は、意見書採択直前の6月19日、村内の瀬名波にある恨之碑前で追悼 式と証言集会を開催した。

 19日午前、平年より4日も早く梅雨明けした沖縄。午後3時から始まった追悼式でも、真上から強烈な日差しが照りつける。追悼式には、韓国から、父親が 慶良間諸島の渡嘉敷村で軍夫として従軍し行方不明(犠牲者)となった権水清(グォン・スチョン)さんと、戦後補償請求に関わった太平洋戦争被害者補償推進 協議会代表の李熙子(イ・ヒジャ)さんが参列した。

 読谷村長・石嶺傳實(でんじつ)さんが地元代表として追悼の辞を読み上げる。「村内には、慰安所跡や軍夫の戦跡が残っています。朝鮮人強制連行問題の解 決なくして、本当の平和は訪れません」と平和への決意を述べる。石嶺村長は、副村長であった4年前も「恨之碑」建立式典に出席している。

 また今年は、韓国の人間国宝で「裸足の舞踊家」と呼ばれる金順子(キム・スンジャ)さんも来沖。碑の前で「苦しみや悲しみを解く」サルプリ舞(鎮魂の 舞)を披露した。金さんは、長野県松代大本営跡や関東大震災など朝鮮人が数多く犠牲者となった地で恨を解く舞をボランティアで続けている。

 恨之碑の会代表の安里英子さんは、追悼式の最後に「恨之碑のある読谷村と韓国・慶尚北道の英陽市の姉妹都市が結べますように」と提案した。

沖縄戦に強制動員

 夕方からは会場を読谷村文化センターに移し、「沖縄戦強制連行犠牲者遺族による証言集会」が開催された。

 父親が沖縄戦で強制動員された権さん。「肉親がどのようにして亡くなったのか、遺骨がどうなったのか、それが分からない」と、朝鮮半島と沖縄島に住む人 々が等しく戦争によって受けた苦しみについて語った。李さんは、恨之碑が韓国と沖縄の双方に建立された経過を詳しく報告した。また、沖縄戦に従軍させられ 恨之碑の発案者の一人となった元軍夫の姜仁昌(カン・インチャン)さんが今年春から体調を崩していることに言及、体調を気遣う李さんの言葉一つひとつに会 場には悲しみが広がった。

 追悼式と証言集会には、地元読谷村から多くの関係者も出席した。恨之碑の制作者の金城実さんは「朝鮮半島が日本に強制的に併合され100年が経つ、強制 連行の生々しい史実を表現する恨之碑が果たす役割はますます重要になっている」と沖縄と韓国の民衆連帯の必要性を呼びかけた。地元村議で恨之碑の会副代表 の知花昌一さんも朝から追悼式の会場設営などに奔走し、「県内で初めて、慰安婦決議が賛成多数で可決できた。沖縄戦では、県内で130か所もの慰安所が あったので、こうした取り組みがさらに広がってほしい」と決意を示した。

 証言集会でも金さんのサルプリ舞が披露され、参加者は見事な舞に魅了された。

 閉会後、李さんと権さんから、沖縄側の恨之碑の会の若い運営スタッフの奮闘に何度も感謝の言葉があった。
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