2011年05月06日・05月13日発行 1181号

【福島原発反対を闘って 福島県三春町 武藤類子さん】

 福島原発反対運動を闘ってきた「ハイロ(廃炉)アクション福島原発40年実行委員会」の武 藤類子さんは第1原発から西へ45キロの田村郡三春町で、自然エネルギーを使いながら喫茶店を営む。チェルノブイリ事故をきっかけに地元の原発と向きあう ようになった。

毎月東電と交渉

 これまで毎月、第1や第2原発に行き、東電側との交渉に参加してきた。

 3月11日はひどく揺れて棚からガラスが落ちた。やばい、と思いすぐに会津に避難。その後戻ったが、1号機・3号機と爆発が続いたので遠くへ逃げようと 14日、山形県天童市で自然エネルギーの商売をしている知り合いのところへ向かった。途中で三春の友だちと連絡をとると、放射線量がどんどん上がっている と言っていた。

 1か月くらいお世話になったが、日常生活をすべて捨てるというのも…。母が87歳で避難生活に疲れたこともあり、4月15日に三春に戻った。

 今の線量は0・2マイクロシーベルト/時と比較的低いが、地面に放射性物質が降り積もっている。靴底からは高い値が出る。

 三春町は避難区域や計画的避難区域から外されていて補償はない。仕事を抱え、学校が始まり、逃げられない人がたくさんいる。

全県を避難区域に

 「ハイロアクション福島原発40年」は福島原発1号機が運転開始から40年を迎える今年3月からの1年間を廃炉の年にしようと、昨年11月に地元の人た ちで結成された。経済産業省は今年2月7日に運転継続を認めた。そんな矢先の「事故」だった。国や東京電力はアメリカや国際的な科学者団体からも警告を受 けてきたのに。交渉しても「対処しました」の繰り返し。危険性を指摘すると「外部電源の喪失は考えられない」との態度だった。

 まずは遠くに逃げさせるべきだ。避難区域は50キロ、いや全県にしてもいい。お金はかかるだろう。増税論まで出始めているが、冗談じゃない。なんで私た ちが一企業の経済活動の尻拭いをさせられるのか。私は11万円の放射線検知器を買った。これも東電にツケようと思う。

 ともに運動してきたメンバーはあっちこっちに避難していて一緒に集まるのは難しい。しかし同日一斉に記者会見を設けたり、避難生活や原子力問題について の情報をみんなに流したり、発信しつながり合いながらそれぞれの場所で最善をつくそう、と確認している。

 私は太陽光発電を3分の1くらい使う生活をしてきたが、まだまだ限界がある。言い方は悪いが、東京の方々の電気はこっちで作っている。都市生活を見直し てほしい。原発を脱却し、社会を変えるためにも普通の市民の意識が変わることがすごく大事だと思っている。
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