2011年09月16日発行 1198号
【韓国・反核ウルサン市民共同行動執行委員長 オ・ヨンエさんインタビュー フクシマで私も若者も変わった】
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韓国の反核ウルサン市民共同行動執行委員長オ・ヨンエさんに、フクシマ後の韓国の原発をめ
ぐる状況などについて聞いた。(7月30日、まとめは編集部)
◆フクシマを受けて韓国の市民運動の様子は。
私の住むウルサンやプサンなど韓国南部の地域は原発が集中しており、事故後に開かれた集会には500人が集まりました。それまで韓国の環境運動団体の集
会で最大の参加者は400人でした。
90年代、ウルサンで新たな原発建設が計画されたとき、反対運動の中心だったのは、近隣の住民たちでした。フクシマ以後は、市民運動団体が集会を開き国
会議員を動かすといった運動を進めるようになっています。
国会議員を動かす運動を
国会議員が原発問題で発言することはありませんでした。私たちは議員が意見を出しやすいよう課題を絞りました。まず、最も古いコリ1号機を閉鎖するこ
と、次に寿命を引き伸ばして運転を継続するのをやめることです。現在、34人の国会議員が私たちの運動に賛同しています。
政府の原発政策を宣伝し原発産業を代弁する原子力文化財団という組織があります。年間約100億ウォン(約7億円)を使っています。民主労働党など進歩
政党は財団をなくす法案を提出する予定です。学者からは、財団を解散して再生可能エネルギー推進の新たな財団をつくり、政府のこれまでの核政策を撤廃せよ
という提案も出ています。
財団は教育の場での宣伝も行なってきました。教師が原子力施設に生徒を連れて行きます。ある校長がこれは誤りだったと謝罪しました。教師の関心が高まっ
ています。今後、若者たちの変化につながるでしょう。私たちも、資料展を催して学生たちを集める運動を進めていきます。
これらすべてがフクシマ以後に起こったことなのです。
私はこれまで自然保護運動に携わっていて、反核運動には関わっていませんでした。事故を知ったとき、韓国にどれだけの影響があるかわからないまま、不安
でお祈りをする毎日でした。
その後、原発についての会見を担当するようになり、図書館へ行って資料を調べたり専門家に会って情報を集めたりするようになりました。私もフクシマで変
わりました。
国際連帯で勝利しよう
◆今後の運動の方向性は。
これまで、運動団体の側では科学技術問題への関心は余り高くなかったと思います。しかし、変わる必要があります。専門家たちが国家権力、資本とつながっ
て進めてきた原発政策を問い直さなければならないからです。これは新しい世界をつくる運動の核心ではないでしょうか。
全交大会で、日本の半分どころか全部の原発が止まっても日常生活には何の問題もないことを知り、驚きました。そういった実情は韓国ではまったく知られて
いません。
韓国では原子力発電の割合が35%を占めています。ある学者がハンギョレ新聞(進歩的日刊紙)に、2050年までに原子力から再生可能エネルギーへ転換
するというシナリオを発表しました。原発からの転換は必要だが、そのためには再生可能エネルギー施設を増やし、価格を下げることが必要だ、と言うのです。
当面は原発しかないということです。
原子力から火力や水力に転換できるのかという研究もデータもありません。皆さんからもぜひ資料をいただき、調査を進めたいと思います。
世界がグローバル化しているので、日本の問題は日本だけではなく、全世界の問題とつながっています。国際連帯ぬきに対抗することはできません。政府や財
界は自分たちのしていることを隠ぺいして何とか流れを逆転させようとしていますが、力を合わせれば、私たちの闘いは勝利するでしょう。
◆ありがとうございました。
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