2012年03月09日発行 1222号

【非国民がやってきた!(129)〜泣くのは嫌だ 笑っちゃおう(1)】

 上空から一枚の絨毯がゆっくり滑るように下りてくる。流れている音楽は「ひょっこりひょう たん島」テーマ曲だが、原作放映時のものではなく、2003年に小西貴雄編曲により「モーニング娘。」が歌ったテーマ曲。そのCDジャケットから抜け出し てきた空飛ぶ絨毯に乗っているのはモーニング娘。ではなく、一人のフランス人。

 偽モッキンポット師――やっと日本か。日本何年ぶりやろ。東日本大震災で日本は大変なことになってんねんやろし、福島では原発が吹っ飛んでもうたから、 日本には来たなかったんや。そやけど、仏さんはどうだか知らんけど、神はんはちゃんといてはるいうことをみんなに教えたらなあかん。おまけに、あの頃、さ んざん尻ぬぐいさせられたアホの小松青年こと井上ひさしが神はんのもとに旅立ったと連絡が届いたんがつい昨日のこと。ほかのことに使ーたらあかんよゆうて 旅費持たせても、どこへ行ってしまうか、何に使うかわからんアホやし、神はんのもとに旅立ったゆうても、ほんまに神はんのもとにたどり着くもんやらようわ からん。なんせ小松青年やから、心配のあまり日本に来てしもた。小松青年に乗せられて旅回り一座の一日座員として小乙女はんと舞台に立たせてもろたら、菅 区長の逆鱗に触れて、花のパリのソルボンヌに戻ったはええもんの、アホの面倒見てお前もアホになったんちゃうかってえらい風評被害に見舞われたもんや。今 流に言うたら放射能汚染まみれの神父や。めっちゃ苦労させられたで。わてを勝手にモデルにして小松青年が小説家になったっていうのは聞いとりましたが、い つの間にやら日本を代表する作家・劇作家・思想家になってたとは、報告もありまへんし、モデル料の1ユーロも送ってけーへんのやから、初耳や。驚いて空飛 ぶ絨毯で来たんや。別にモデル料取り立てに来たんちゃうで。小松青年に引導渡しに・・・ちゃうちゃう、神父らしく最後の説教したろ思て来たんや。それにし ても東京はえらい変わりましたな。小松青年こと井上ひさしが上智大学の主任教授ポール・リーチ師に泣きつきよって、新宿四谷のラジオ局・文化放送の敷地内 にあった「聖パウロ学生寮」にもぐりこんだんは1956年のことやった。そのアホが児童文学者の山元護久と共作で脚本を書いた、NHKテレビの「ひょっこ りひょうたん島」放映が始まったんが1964年4月や。わてをモデルにした「モッキンポット師の後始末」を『小説現代』に発表したんが1971年や。日本 は高度経済成長とか騒いどったけど、東京もずいぶんと背〜えの低い町やったけど、今は新宿方面にやけにノッポのビルが並んでますな。せやけど文化放送、見 つかりまへんな。どこ行ってしもうたんやろ。文化放送はJR浜松町駅前に移転しましたなんて、なんでわてが説明せなあかんのや。ま、「ひょうたん島絨毯」 やから黙っといても小松青年にたどり着きよるはずやけど。

<参考文献>
井上ひさし『モッキンポット師の後始末』(講談社文庫、1974年)
CD『モーニング娘。のひょっこりひょうたん島』(zetima、2003年)
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