2012年05月25日発行 1232号

【非国民がやってきた!(134)〜泣くのは嫌だ 笑っちゃおう(6)】

遅筆堂文庫のある図書館上空を旋回する空飛ぶ絨毯で、3人の会話が続く。

偽博士――ひさし先生のお父さんの小説『H丸伝奇』のおかげでひさし先生の名前の由来が少し判明したのです。

偽フン――少し? 前には「謎が解けた」「すべてわかった」と言っておったはずじゃが。

偽博士――フン先生、細かな差異は無視してください。

偽フン――そうはいかん。大物作家であるわしが言葉をぞんざいに扱うわけにはいかない。

偽博士――とうとうフン先生もひさし先生の境地に達してきたのですね。

偽フン――いや、ナニ、その、そこまで褒められると、う〜、多少は謙遜して見せなくては。

偽モッキンポット師――ほんで、小松青年の名前の由来はどうなったんや。あんまり気ぃ持たせんといてや。

偽博士――第17回サンデー毎日大衆文芸一位入選作の『H丸伝奇』は1935(昭和10)年、『サンデー毎日』10月13日号に掲載されました。この時、 後の大作家・井上靖先生も「紅荘の悪魔たち」で入選しました。同じ時にお父さんが一位入選したのが、ひさし先生のお母さん、マスさんの自慢だったそうで す。

偽フン――井上靖に勝ったとは、うらやましい話じゃ。もっとも、わしも大江健三郎といい勝負を続けているが。

偽モッキンポット師――(完全無視して)せやけど、小松滋、一作限りで消えた泡沫作家やろ。

偽フン――わしや井上ひさし君のような大物は別じゃよ。一作だけでも掲載されたのは当時としては凄いことじゃ。

偽博士――そうですよね。

偽モッキンポット師――寄り道エピソードが多すぎるんちゃうか。はよ、名前の由来教えてや。

偽博士――物語は横浜から上海へ渡航するM汽船所有のH丸を舞台に進みます。孫逸仙(孫文)、黄興、李列釣、犬養木堂、頭山満らを中国革命のために運ぶ仕 事です。出港前に主人公が南京街で謎の美女・金翠桂と出会うのですが、実は上海で本物の金翠桂と出会うのです。

偽モッキンポット師――横浜で会ったのは、姉妹か、幽霊か、それとも本物(ほんもん)か。

偽博士――知りたいですか?

偽モッキンポット師――知りたいんは小松青年の名前の由来や。

偽博士――はい、それでは答です。『H丸伝奇』下篇2に、秘密の波止場で偽装したH丸が珠江湾を出るくだりで、「間もなくこんな無電を受けたH丸は、厦門 沖に行くと、そこから東へコースを転じ、台湾海峡を横断して卓社大山がはるかに望まれるところまで来ると、今度は基隆航路を辿るのであつた。」(29頁) と、書かれているのです。

偽モッキンポット師――そんなことはどうでもよろしい。小松青年の名前の由来はどうなりましたんや。

偽博士――ですから、これがひさし先生の名前の由来なんです。

偽フン――わかったぞ。「厦門沖」の「厦」がひさしというんだな。

偽博士――そうです。

偽モッキンポット師――(目を丸くして)博士、それはあんまりやないか。小説に「厦門(アモイ)」が出てきたちゅうだけや。

偽博士――でも、当時、厦という漢字を書くことなどまずありません。お父さんは小説でこの漢字を使ったので、そこからインスピレーションを得て、ひさし先 生の名前にしたに違いありません。

偽モッキンポット師――「文学史の謎」が聞いて呆れる。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。いや、鹿ほどの重みもあらへんから、馬蚊馬蚊しいの一言や。

偽博士――あっ、モッキンポット先生、ここでそれを言っては、大変なことに・・・
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