2013年07月19日発行 1289号

【未来への責任(130)戦後補償解決済みは通用しない】

 6月22日福岡県久留米市で、韓国の強制動員被害者遺族の崔洛(チェ・ナッ クン)さんと太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子(イ・ヒジャ)さんを迎え証言集会が開かれた。太平洋戦争 が終わって68年、朝鮮半島から強制動員された犠牲者の遺族は何の補償もないまま放置されてきた。戦死の通知す らなされていないことを日本人はどれだけ知っているだろうか。今もわずかな手がかりをもとに父や兄の足跡を探し ておられる遺族は多い。

 集会は地元チーム「ビビムタ」によるサムルノリ演奏に始まり、推進協10周年の記録映像を上映。ヒジャさんは 「映像を見て改めて思う。何度も絶望したが、絶望の中で一つの光を探して今まで来た。皆さんに会い、また新しく 始めようと思う」とあいさつした。

 チェさんは2年前の来日直前、父・崔天鎬(チェ・チョノ)さんの写真に一緒に写る同僚2人が福岡の貝島炭鉱に いたという情報を知った。しかし、消息は確認されないままの来日となった。父が徴用で引っ張られたのは2歳の 時。父の記憶はなく、一度も「お父さん」と呼んだことがないという。

 チェさんは20年余り遺族会の活動をしてきた。写真の裏に書かれた住所に父の同僚を訪ねたが、すでに他界。父 が送った手紙は、保管していた祖父母が亡くなると処分され、手がかりがなくなった。生きているうちに父の足跡で も見つかれば、甲斐があるだろう。「被害者に今後も変わらず関心を持ち続けてください」との訴えが響いた。

 調査をしてきた角南圭祐さんが報告した。手がかりは写真の表に記された「第一共和訓練隊員」と記念撮影の日付 け、後ろの建物。朝鮮人強制連行に詳しい横川輝雄さん、林えいだいさん、金光烈(キム・グヮンニョル)さん、地 元のお年寄りに聞いて回った。確かなことは見つからないが、新たな予測は生まれた。

 九州の地での集会の実現は、NPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川正隆さんの働きかけによるところが大き い。塩川さんは、生まれて1週間後に出征したお父さんが沖縄で死没。伯父さんはフィリピン・レイテで亡くなっ た。沖縄とフィリピンで追悼と遺骸収容活動を継続されている。

 海外で収容可能な遺骸が今も60万体放置されている。塩川さんは語る。「骨のあるとこ、どこでも行きますよ。 戦場に置き去りにされた―そんな人が靖国に行きますか。安倍も同じことを言うが、靖国は自存自衛の戦争と正当化 し、殺戮兵器を並べている。静かに平和を希求する場ではない」。遺骨を家族のもとに返すため、DNA鑑定を厚労 省に要求するという。

 戦後は終わっていない。日本の遺族と韓国の遺族が協力し、遺骨と靖国の関係を暴いていかなくては戦争の姿は見 えてこない。麻生副総理ら国会議員169名の靖国参拝を見逃すわけにはいかない。責任は必ず取らせる社会にする ために。

(グングン裁判の要求実現を支援する会 木村章子)


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