2014年02月21日発行 1318号
【非国民がやってきた!(177) ユートピアを探して(5)】
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四国の山奥の<村=国家=小宇宙>が大日本帝国と全面戦争に突入する大江健三郎『同時代ゲーム』は、井上ひさしの『吉里吉里人』と双璧を成す国家論=「反国家」論でした。それでは大江健三郎と井上ひさしは同質の作家であったでしょうか。言うまでもなく違います。
大江と井上は同質のユートピアを求めたでしょうか。これはかなり難しい問いとなります。例えば9条の会における憲法9条擁護、平和と人権を求める闘いにおいて、大江と井上は共闘しました。井上は3・11以前に他界したので勝手な推測になりますが、もし井上ひさしが健在であれば、脱原発大集会の日比谷公園に大江とともに姿を現したのではないでしょうか。その意味での同質性を探ることは難しくありません。
とはいえ、作家としての資質が大きく異なることも言うまでもありません。大江が「純文学」であり井上が喜劇に力を入れたとか、大江が小説家であり井上が小説のみならず戯曲にも大いに才能を発揮したこととは別に、二人のユートピアには大きな隔たりがあります。
井上ひさしが他界した折、「井上ひさしさんお別れの会」で丸谷才一が述べた言葉を、大江健三郎が書き留めています。1930年代の日本文学は、芸術派、私小説、プロレタリア文学の「三派鼎立」と理解されてきました。丸谷才一は、現在の文壇について、芸術派の代表を村上春樹、私小説の流れに大江健三郎を、そしてプロレタリア文学に井上ひさしをあげたということです。
「小林多喜二の再評価を明日につないだ井上ひさし最後の戯曲の、愉快な歌を忘れない満場の参加者たちに、『プロレタリア文学を受け継ぐ最上の文学者は井上にほかならない』とする丸谷さんの力にみちた声は心から受け止められました。」
私小説を批判して新しい文体を切り拓きながらデヴューした大江健三郎ですが、障害をもって生まれた息子とともに生きて、『個人的な体験』以来、家族を素材にした作品を半世紀近く書き継いできました。大江自身、「私小説の流れに置かれたのに刺激され、自分の小説家としての半生を顧みたのですが、不服があってというのではありません。事実、丸谷さんに続いて弔辞に立った私は、まさに私小説家の話ぶりだったはずです」と述べています。一方で核時代の想像力をめぐらし、四国の森の奥の伝承と物語を現代につなげて展開してきた大江は、私小説を乗り越えながら新しい私小説を実践することになったと言えるでしょう。
他方、井上ひさしにプロレタリア文学の継承を見る論拠は、最後の戯曲『組曲虐殺』だけではありません。大江も、井上ひさし最後の小説『一週間』を取り上げて、「この小説には井上さんが世界文学から広く学んだ手法と、自分で積み上げた社会的な問題意識がたくみに結ばれています」と位置づけています。
多彩な言葉遊びをちりばめた井上ひさしの自由奔放、波乱万丈の物語は、その先で常にユートピアへの希求とつながっています。「小林多喜二の再評価を明日につないだ」という大江の言葉も、プロレタリア文学の闘いを疾走した多喜二の「あとに続く者を信じて走れ」のことを指しているのでしょう。井上ひさしも、あとに続く者を信じて走りました。プロレタリア解放=人間解放をめざす「非国民文学」は、異なる時間、異なる空間に措定されたユートピアをめざす闘いでもあります。
<参考文献>
大江健三郎『定義集』(朝日新聞出版、2012年) |
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