2014年05月23日発行 1330号

【避難指示解除地域を歩く/福島県田村市都路地区ルポ(下)/理不尽な線引きに住民の怒り/ここでも「命よりカネ」の論理】

 福島第1原発からの距離を避難や賠償の主な基準としてきた政府。市内に20キロ圏、30キロ圏、避難区域外をかかえる田村市では、そうした線引きの矛盾があらわになっている。       (Y)

 田村市都路(みやこじ)町の中心、古道(ふるみち)地区は20キロ圏からわずか数キロ外に位置する。市の都路行政局や郵便局、小中学校、診療所、商店が地区を形成している。



 都路町には20キロ圏内の117世帯を含む約1000世帯3000人が住んでいた。20キロ圏内に避難指示が出されて間もなく、20〜30キロ圏の古道地区も緊急時避難準備区域とされ、多くの市民が十数キロ離れた田村市船引(ふねひき)町やいわき市の仮設住宅などに移り住んだ。緊急時避難準備区域は2011年9月に指定が解除されたものの、住民の帰還率は3割にとどまっている。放射能への不安からだ。

 商店はガソリンスタンドや理容店などわずか。そのため市営の仮設店舗が作られ、食品や軽食が提供されている。子どもの姿は見られない。都路行政局の前のモニタリングポストは0・16マイクロシーベルトだが、付近は0・2以上を示す。診療所も開いていた。裏手に回ると、0・5マイクロシーベルトあった。

無理やり学校再開

 20キロ圏内の避難指示解除に合わせて、都路町にある古道小学校、岩井沢小学校、都路中学校も再開された。「おかえりなさい」ののぼり旗が風に揺れていた。しかし、子どもたちの多くは避難先から6台のバスで30〜40分かけて通学する。バスの運行関係者は語った。「無理やり学校を再開して、大人たちが住まない所に子どもたちを通わせるとは」

 店舗の前で子ども連れの母親に話を聞いた。「避難先は4畳半2間。子どもが泣いたりして周囲に気兼ねする毎日だったので帰還を決めた。事故当時は妊娠中。生まれた子どもは県民健康調査は受けられなかった。市でエコーをやってもらい異常はなかったが、20年後、30年後が心配だ。ここの診療所には小児科はないので船引に行かなくてはならない。20キロ圏のすぐそばなのに賠償は受けておらず、不満だ」。緊急時避難準備区域の人びとには、11年9月の指定解除以降、賠償金が一切支払われていない。

 岩井沢小学校の近くにある桜の名所は、放射性廃棄物のゴミの山だった。0・65マイクロシーベルトを計測した。そばで農業を営む男性は「100万円かけて新しい農耕機械を買ったが、原発事故のため3時間使ったきり。1頭70万で買った牛は10万にしかならなかった。田んぼの土壌は測ってくれないし、井戸水は『大丈夫』というだけで数値を教えてくれない。不安だ。20キロ圏内なら何でもやってくれるだろうに」と怒る。

賠償金支払いに差

 30キロ圏外にある田村市常葉(ときわ)町早稲川(わせがわ)地区。全65世帯中3分の2にあたる42世帯152人が3月10日、国と東京電力を相手に東京地裁に集団提訴した。早稲川地区は6メートル道路1本隔てただけで30キロ圏内の黒川地区と線引きされた。30キロ圏内に早稲川の土地も一部入っていたが、家屋が建っていないから、と認められず、黒川地区の一部は30キロ圏外だが同じ地区だから、と圏内と認定。賠償金支払いに差をつけられた。原告の一人は「30キロ圏内より放射能の高い所はいっぱいある。しかし圏外ということで賠償金や税金、医療費、義援金など全く別の扱いになっている。理不尽だ」と矛盾をつく。

まごうことなき犯罪

 訪れた4月28日、郡山市の中心部は車中で0・4マイクロシーベルトを示した。福島市では、県庁前の歩道が0・5マイクロシーベルト。山のふもとでは車中で2マイクロシーベルトを超えた。いずれも、避難指示が解除された田村市都路町より高い数値だ。

 政府・福島県は「都路は除染も完了し、帰還できる状況になった」と帰還政策を推し進める。では、原発から50〜60キロ離れた福島市や郡山市などの汚染の実態をどうみているのか。そもそも、これらの地域をこれまでなぜ避難地域としてこなかったのか。何ごともなかったかのように何の対策もとらず、あきらめを醸成する。命よりカネを優先させた線引きが、県内外を問わず日々子どもたちの健康をむしばんでいる。まごうことなき犯罪である。  
          (終)



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