2015年01月30日発行 1364号

【原発被害救済千葉訴訟 全国初の原告本人尋問】

 福島から千葉県に避難した18世帯47人が国と東電を相手に「被害の完全回復」を求めた訴訟で1月16日、全国初の原告本人尋問が行われた。

 午前10時から午後5時まで、異例ともいえる7人の避難者が証人席に。しかし、被告代理人の反対尋問は犯罪者の自白≠フ信ぴょう性を確かめるような不遜な態度だった。

 4世代9人で飯舘村に暮らしていた男性。「40年間の郵便局勤務を通して知らない人はいなかった。愚痴を聞いたり相談に応じたり、生きがいのある仕事だった」。避難後ハローワークに30回近く通ったが、仕事はない。両親は避難先の老人ホームで亡くなった。「人間関係がばらばらにされたのが一番つらい。裁判長は飯舘村に行き、被害を直視してほしい」

 被告代理人は「事故前から父親は認知症で、脳梗塞を起こしていたことをあなたは知らなかったのか」と、カルテまで持ち出して執拗に質問。避難生活と症状悪化との関連を否定しようと躍起になった。

 浪江町から妻子と4人で避難した男性。将来は親の仕事を継ごうと夢見ていた。「子どもは中学生。除染が進まず放射能に汚染されたわが家にはとても帰れない」。帰郷を断念し、ローンで購入した習志野市のマンションに暮らす。「苦渋の決断だった。ふるさとを元に戻してほしい。それが無理なら完全賠償を」と訴えた。

 被告代理人は「家財の費用や収入の減少分は東電から出ているだろう。マンションが浪江の持ち家より『狭い』と言うが、4LDKに変わりないではないか」と、敷地面積も浪江と習志野の地価の差も無視した揚げ足取り。補償がいかに実態とかけ離れているかが浮き彫りになった。

1月30日にも本人尋問

 健康被害に対する国・東電の姿勢を象徴するのが、避難区域外の矢吹町から避難した女性への反対尋問。女性は子どもが通う小学校の運動場で毎時0・5〜1マイクロシーベルトを計測した。「子ども2人の尿を調べたら、ともにセシウムを検出、鼻血も出た。子どもの健康を考えるとここでは生活できない」と避難。しかし、生活に困り再び矢吹町に戻った。

 被告代理人は「放射線量はどんな被害をもたらすのか。町は避難すべきと判断していたのか。専門家の意見を聞いたのか」と問い詰める。「危険だという医師の意見もある」と話す女性に、「その医師は誰か」。勝手な判断で避難したと言わんばかりで、加害者としての責任、痛みが全く感じられない尋問に終始した。

 本人尋問は次回1月30日も続けられる。

 裁判後に行われた「千葉県原発訴訟の原告と家族を支援する会」結成準備会には、大阪訴訟弁護団や神奈川訴訟原告団なども参加した。元国会事故調委員の崎山比早子さんは「原告の発言はおとなしい。もっと怒りを。長瀧重信委員会(環境省専門家会議)に腹が立つ」と語った。会事務局の山本進さんは「法廷は支援者であふれ、原告を勇気づけた。これからも多くの傍聴を」と呼びかけている。

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