2015年07月24日発行 1388号

【福島激励訪問/汚染地域での生活強要許すな/政府の20_シーベルト帰還政策に立ち向かう/“保養では間に合わない 集団移住が必要に”】

 放射能健診100万人署名運動全国実行委員会が呼びかけた福島激励訪問団(7月3〜5日)に同行した。解除された南相馬市特定避難勧奨地点の実態を見た。政府の20_シーベルト帰還政策に真っ向から立ち向かう人びとがいる。事故前は当たり前だった年間1_シーベルト以下に戻せとの怒りを聞いた。(豊田護)

軒先に70万ベクレル

 「3号機が爆発したとき、ここにいました。原発からは約22kmですが、間近で聞く打ち上げ花火の比ではありません。腰が抜けるというか、この世の終わりかと思うほどの音でした」

 南相馬・特定避難勧奨地域の会事務局長、小澤洋一さんは実家の庭先で原発事故当時の様子を語った。政府は「計画的避難区域とするほどの地域的な広がりが見られない」と、世帯ごとに「避難勧奨地点」の指定を行った。南相馬では18歳以下の子どもの有無で指定が分かれた。小澤さんには高3の息子がいたが、隣の実家と同じく線量が低いと指定されなかった。

 「ここ見ててください」。実家の軒先、野菜を洗う水槽がある。コンクリート壁の上端、放射線計測器をわずか20cmほどずらした。2千cpm(1分あたりの放射線計測回数)だった数値は2万7千cpmになった。換算すれば6万ベクレル/uが70万ベクレル/uに跳ね上がったことになる。強烈なホットスポットが日常生活圏に存在する。だが行政は玄関口と庭先の数値で仕分けした。しかも空間線量のみ。「4万ベクレル/u以上は放射線管理区域で10時間以上滞在するのは違法です」と小澤さん。この数値はチェルノブイリで汚染地域の認定基準(3万8千ベクレル/u)に相当する。

ごまかす政府

 「除染作業に必要な資格はすべて取りました」。小澤さんは事故後、放射線防護の基礎から測定技術まで身につけた。「放射線の影響を見るとき、空間線量(シーベルト)が使われますが、土壌汚染などはベクレルで評価すべき」と訴える。ガンマー線を計る空間線量計測器とベータ線も測れる表面汚染計測器をそろえ、地域の汚染実態を測定して回った。

 室内は屋外の4割に低減すると仮定して年間被曝量を計算する政府。室内の方が高い家屋はたくさんあった。風の通り道に沿って山から運ばれてくる放射性微粒子。除染で一時的に数値が低下しても、雨や風で高濃度になる所がでる。小澤さんの数値は政府のごまかしを暴く。

 政府は住民の反対を押し切って「特定避難推奨地点」の解除を14年12月28日に強行した。東京電力は精神的賠償(1人月10万円)の支払いを15年3月で打ち切った。

 年間20_シーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)下で生活を強いるのは、事故前の放射線防護基準(年間1_シーベルト)を大きく逸脱する。今回解除された94世帯と元々の指定からもれた近隣世帯112世帯、あわせて206世帯(808人)が、東京地裁に提訴。「南相馬20_基準撤回訴訟」。「子ども脱被ばく裁判」とともに政府の避難・帰還基準を違法と争う数少ない裁判となった。

すべてはオリンピック

 小澤さんは各行政区の区長を粘り強く説得し、測定値を住民に報告。政府が進める20_シーベルト帰還政策を批判して回った。集団提訴の原動力になった。「将来的には訴訟名から南相馬も20_シーベルトもとって、1_シーベルトを守れ、被曝をやめろと看板を書き換えねば」と語る。

 被曝被害を出さないためにどうするか。小澤さんの思いはこうだ。「この汚染地図を見てください。新潟県の千倍以上の汚染度です。セシウム137の半減期は30年。300年経っても新潟よりまだ高い。もう保養では間に合わない。被害はこれからが本番になる。限界集落など移住先を探さねばと考えてます」

 なぜ政府は放射能汚染地域に住民を帰還させるのか。すべてはオリンピックのためだと指摘する小澤さん。「8月6日、広島で東京オリンピック反対を訴える行動をします。8千cpm(24万ベクレル/u)もある国道6号で聖火リレーをさせるんですか。世界に向かって汚染地に選手を送るなと訴えたい」。福島激励訪問団からも参加する。



ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS