2015年10月16日発行 1399号
【シネマ観客席/野火 Fires on the Plain/製作・監督・脚本・主演 塚本晋也 2014年 87分/「肉体の死」から目を背けるな】
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大岡昇平の戦争文学を映画化した『野火』(塚本晋也監督/主演も)が全国各地で上映されている。
舞台は第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍が壊滅状態に陥る中、結核を患った田村一等兵は部隊からも野戦病院からも追い出され、ジャングルを一人さまよう。食糧を求めてフィリピン人集落に入った際、遭遇した女性に騒がれ思わず発砲、殺してしまう。以来、田村の中で何かが壊れていった…。
飢えた日本兵たちはイモ一つをめぐって醜く争い、あげくの果ては「猿の肉」と称して人肉を食らう。いつ隣の兵隊に襲われ、「猿の肉」にされるかわからない。人間の尊厳をはぎとられ、ケダモノ以下の存在になっていく兵隊たち。もはや敵も味方も関係ない。そうした戦争の真実を映画は観る者に疑似体験させる。
「戦争とは結局、殺すか殺されるか。極めて肉体的なもの」(9/18朝日。以下、発言引用同じ)と、塚本監督。だが、凡百の戦争映画が描くのは「幻想としての甘美な死」だ。自己犠牲のヒロイズムを讃え、「大切なものを守るための戦い」を肯定する。
『野火』はその対極に位置する作品だ。塚本監督がフィリピン現地で取材を始めたのは約10年前。手榴弾で自爆した日本兵の写真を見て、想像を超えた“人の壊れ方”に愕然とし、その衝撃をそのまま映画にしたいと思ったという。
「肉が裂け、ウジがわき、内臓が飛び出し、手足が千切れ、脳みそが砕け散る。…『肉体の死』を容赦なく、叫ぶように描きました。大義もヒロイズムもない戦争の悲惨さや痛みを、理屈ではなく身体で感じてほしかったからです」
実際、『野火』の人体破壊描写はすさまじい。グロテスクすぎると拒絶反応を示す者もいるだろう。だが、目を背けてはいけない。人間がかくも無残に大量に死んでいくのが戦争なのだ。
日本のメディアは基本的に死体を写さない。先日、海岸に打ち上げられたシリア難民男児の写真が大きく報道され、欧州社会に衝撃を与えたが、日本では写真にモザイクがかけられた。人道的配慮と言えば聞こえがいいが、要は悲惨な現実の隠ぺいである。
安倍政権の手法も同じことである。「積極的平和主義」といった美辞麗句で戦争の真実を覆い隠す。だからこそ「痛みの実感」を取り戻したいと塚本監督は言う。「『国際環境の変化』といった知識に根ざすよりも、人を殺すのは絶対に嫌だという直観に根ざした方が強いし、結果的に間違いが少ない」からだ。
『野火』の製作は困難を極めた。「今どき反日映画なんて」と業界から敬遠され、低予算の自主製作映画となった。それでも執念で完成にこぎつけた映画は立ち見が続出するほどの反響を巻き起こしている。皆さんもぜひ劇場に足を運んでほしい。戦争のリアルを体感するために。 (O)
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