2016年01月15日発行 1411号

【ルポ/避難指示解除が図られる福島・南相馬/生活できない汚染実態/ここに帰していいのか】

 今年4月にも避難指示が解除されようとしている福島県南相馬市小高(おだか)区。9か月ぶりに汚染の実態調査に入った。空間線量は依然として高く、土壌汚染に至ってはあちこちで放射線管理区域の基準値1平方bあたり4万ベクレルを超えていた。とても生活できる環境にはない。

 12月27日、常磐自動車道を経由して小高区に向かう。道路脇のモニタリングポストは0・1〜4・1マイクロシーベルト/時と表示されたまま動かず、全く測定の意味をなしていない。文科省基準の年20_シーベルトを超えさえしなければ問題ないとの姿勢の表れだ。

 調査には、地域で長年にわたり計測活動に取り組む小澤洋一さん(南相馬・避難勧奨地域の会)の協力を得た。小澤さんはベータ線と土壌汚染の測定の重要性を強調する。「ベータ線は約50aしか飛ばないが破壊力が強い。ガンマ線を高さ1bで測るだけでは被曝が過小評価される。シーベルト表示は低くても、ベクレルで高い個所はたくさんある。とくに子どもたちには危険だ」

 小高区でも山側に位置する川房の黒木さん宅は、庭と畑の境界線で2マイクロシーベルト/時。ベクレルでは放射線管理区域の49倍、194万ベクレル/平方bという驚くべき値を記録した。家の周囲は除染されているが、1マイクロシーベルトを超える。庭の石や切り株も、ベータ線は放射線管理区域相当だ。黒木さんは「ガラスバッジをつけて農作業し、限度を超えたら家の中に入ればいいと無責任なことを言われる。土を除去したら作物は育たず仕事はできない。数値には驚いたが、事実は知っておかなければ。どうして4月に解除できるというのか」。

 同じく山側に住んでいた自営業の斎藤さん宅も、入り口で147万ベクレルを示す。周辺の空間線量は0・3マイクロシーベルト、室内は0・38マイクロシーベルト。2階は屋根からの放射を受けて0・5マイクロシーベルト/時に上がる個所も。2人の子を持つ斎藤さんは「帰れる状況にないですね。近所でも帰る予定は10人に1人ぐらいでしょうか。代々3世帯で暮らす地域だったのに。母が最近亡くなった。強制的に出されたわけで、どんな思いで避難先で生涯を終えたのか。国には謝罪してもらいたい」と悔しさをにじませた。

 山から離れた飯崎(はんさき)の村田さん宅の場合、3月調査時点で周辺は0・82〜1・57マイクロシーベルトだった。今回、上は2マイクロシーベルトを超え、局所的だが玄関先の雨どいでは8マイクロシーベルト/時を記録した。3月に計測しなかった土壌は48万ベクレル。村田さんは「えーっ」とショックを隠せない。

 地域の生活圏の汚染も深刻だ。常磐線小高駅前通り沿いの除染された空き地は6万1千ベクレル超。小高区役所前のモニタリングポストは、シーベルトより約2割低いと言われるグレイ表示になっている。シーベルト単位では0・1マイクロシーベルトを超えていた。すぐ近くの児童公園には、0・4マイクロシーベルト超の場所もある。

 避難指示解除後に再開されるという小高小学校・中学校の正門は12万ベクレルを超える。放射線管理区域の3倍の汚染地で授業を受けさせるというのか。中庭のベンチでベータ線を測定すると、1秒間に約7千の放射線が出ている。座れば、もろに被曝する。隣には幼稚園がある。すぐそばの木の下は4万8千ベクレルと高い。

 水も心配だ。地区の飲み水は3か所の簡易水道浄水場でまかなっている。小澤さんは「濾過施設はなくフィルターを通しているだけ。ダムのない川では汚泥も一緒に流れてきて、放射性物質の混入が不安だ。事故前なら、井戸水よりきれいという話で済んだろうが」と指摘した。

 こんな場所に帰還を強要するのか。原発事故を引き起こし、勝手に避難させて人の人生をくるわせ、今また被曝を軽く見て帰って来いという。この理不尽を許してはならない。

 小高区の海側で津波にも襲われた佐々木さんは吐き捨てるように語った。「私たちには避難するかどうか選ぶことさえ許されなかった。母は慣れない地への移動で心労が重なり、亡くなった。原発事故さえなければ、と思う。政府や東電は、この取り返しのつかない人生の重さが全くわかってない」     (Y)



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