2016年01月15日発行 1411号

【キャンプ・シュワブゲート前座り込み行動リーダー 山城博治さんが語る辺野古の展望 第1回 共感広がり、非暴力で止められる】

 沖縄・辺野古では新基地建設阻止のため市民による座り込み行動が540日以上続く。戦争法同様に民意を無視し工事を強行する安倍政権の暴挙に対し、最前線で闘うキャンプ・シュワブゲート前座り込み行動リーダーの山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)に辺野古の展望を語ってもらった。(12月30日・まとめは編集部)

ゲート前座り込み開始

 私は2007年から14年6月まで沖縄本島北部東村(ひがしそん)高江の森でヘリパッド建設反対の闘いを中心に取り組んでいた。14年7月1日から政府が辺野古で工事を開始すると宣言したため、高江には「ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会」を発足させ、私は辺野古へ運動をシフトした。

 6月の半ばは、海上行動のために海に潜る練習をしていた。最初は怖くて浮き袋まで付けていたが、不思議なもので大浦湾のど真ん中では身体が自然と浮かび泳げる。潜ると、斜面にはびっしりテーブルサンゴが生息し、下には魚が隠れている。「やはり大浦湾は特別だ」と感じた。

 7月になってゲート前で行動した。夏の日差しは半端ではなかったが、名護警察署はパラソルすら張らせなかった。当初普通の傘をさしていたが、長時間持つのは大変だ。交渉して、ビーチパラソルを5本くらい設置できるようになった。でもパラソルの間から日が入るので、パラソルにブルーシートをかぶせた。人が集まるようになってきたので、基地のフェンスに旗竿を差し、ブルーシートで日陰を作った。当時は朝に作り、夕方には解体することを繰り返していた。

 行動し始めた時は何人くらい来るのか未知だった。最初は20人くらいから開始し、40、50人に増えるのは早かった。これならすぐに100人を超えるのではないかと思いワクワクしながら見ていた。14年8月に那覇市の島ぐるみ会議のバスで毎日50人くらいが来てくれ、200人にまで膨れ上がるときもあった。これは凄い、本当に工事が止められると思った。

 みんなは7時半頃に集まっていた。当時は国道から大型のトラックが来たら、みんながトラックの前に出て止めていた。すると待機していた機動隊が排除しに来る。今のように早朝6時からゲート前に整然と座り込むスタイルはもっと後になってからだ。

 機動隊との衝突は体力を奪われる。私も日差しで唇がただれて水も飲めず、食べるのもパンを喉の奥に放り込む状況だった。そこで阻止行動の中身を吟味しようとなった。

 夏休みは親子連れや大学生が来ていた。赤ちゃんを連れた母親や年配の人も来た。その時は、「少し引いて見ていてください」と言っていた。みんなが機動隊の前に座り込まなければいけないのではない。参加するだけでもよいスタイルをつくらないといけないだろうと思っていた。

 機動隊とぶつかる時は激しいが、テントに戻ってきたら歌ったり、踊ったりしていた。緩やかで、柔らかで、広がりのあるテント村の雰囲気はその頃から作られていた。自分のことを紹介する時は、「平和運動センター」ではなく「世話人」の山城と言う。それは、テント村に集まっているのは自由な意思の市民で、組織が前面に立ち仕切るのではなく、その市民の思いを優先したかったからだ。

暴力に抗する非暴力行動

 14年8月14〜15日、海上保安庁の巡視船18隻、ゴムボート30隻、警戒船5、6隻で、辺野古の海が真っ黒に塗りつぶされた。海上保安庁はフロート(浮具)にカヌー隊が近づくと刑事特別法を名目に暴力的な実力拘束排除を行った。この許しがたい暴力により8月以降ケガ人が続出した。私も海へ行きカヌー隊を激励する行動や新ゲート前での海上保安庁への抗議行動を行った。海からは「ゲート前からのエールが聞こえているよ。心強い」と言ってくれた。

 15年1月中旬、取り払われていたフロートの再設置のため、深夜にトラックで資材が搬入された。そこで1月から24時間体制で泊まり込むようになった。トレーラー45台でフロート資材を搬入するのを目の当たりにしたときは唖然とし、本気で震撼した。

 機動隊は埋め立て工事を強行するのに邪魔なものはみな排除していった。特に15年11月4日に東京の警視庁機動隊がきて、沖縄の機動隊も手が付けられないくらい暴力的になってきた。勢いそれに対する市民の抵抗も激しくなる。市民1人を機動隊5人で押さえ込む。のどを押さえ、ひざを脇腹に落とす。押さえ込んだひざで肋骨が折れる。琉球新報の報道では逮捕者は16人となっており、けが人は分からないくらい救急車で搬送されている。政府は辺野古現地の運動は非暴力でも平和的でもなく、暴力的で過激≠フイメージを広げようとしているように感じる。私たちは、引き続き平和的に運動を進め、暴力的なのは警察の側であることを訴えたい。

 現場では、暴力に対抗しこちらも暴力で応じては、との意見もある。しかし、それでは逮捕者を出して運動が終わってしまう。私は、機動隊の暴力は許さないが、その存在を絶対に許さないとは言っていない。沖縄の機動隊が仕事として排除するなら分からないでもない。参加者には機動隊が排除にくるので、その時は力を抜いて身を任せるように言っている。これが座り込みを非暴力でやるぎりぎりのラインだ。暴力的に抵抗すると公務執行妨害になったり、けがの原因になったりする。

 今日、明日でこの運動が終わるのではない。今日抜かれても、また明日来ればよい。悔しいけど、毎日排除されるけど、一見無意味にも思われる繰り返しの中で、共感が広がり、運動が広がっていく。今日は150人で引き抜かれたけど、500人であれば止められる。このような非暴力の抵抗運動は数が重要だ。

 ゲート前の水曜行動は最初800人、最大で1200人。常時500人ほどが集まる。このことで激しい抵抗をしなくても、非暴力で止められることが証明できた。工事を止めるのを週2回、3回に増やせれば勝利できる。

 工事をすべて止めなければいけないと思う人もいるかもしれないがそうではない。工事の請負業者は出来高払い。工事の進捗状況によってしかお金は支払われない。お金が入ってこなければ請負業者は工事ができなくなる。すべての工事を止める必要はなく、週2、3日止めれば十分だ。高江でも実践され、毎年のように業者が変わった。

 今、辺野古の工事は止められるという希望を持っている。

         (続く)



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