2016年01月22日発行 1412号

【非国民がやってきた!(224)尹東柱(5)】

  詩集『空と風と星と詩』以外の詩、1942年に日本に留学した時期の作品も見ていきましょう。東京からソウルの友人にあてた手紙に含まれていた5つの詩があります。そのうち1篇は途中までしか残されていません。

 これらが尹東柱の最後の詩とされています。他にも書いた作品があったかもしれませんが、残されたのは5篇だけです。

 1942年4月14日の「白い影」は「黄昏が濃くなる街角」に立つ詩人が耳を澄まし、自分をふるさとに帰そうとします。この年、4月2日、詩人は立教大学文学部英文学科に入学しました。

 いま 愚かにもすべてを悟り
 永らく心の底で
 悩んできた多くのわたしを
 ひとつ、ふたつとふるさとへ帰せば
 街角の闇のなかへ
 音もなく消え去る白い影、

 白い影が立ち去った後の黄昏の裏通りを歩いて、自室に戻った詩人は「芯のつよい羊」のように「ひがな草でも摘もう。」と決める。

 それでは白い影とは何でしょうか。誰の影でしょうか。「なごりつきない白い影たち」とは、詩人でしょうか、友でしょうか。それとも故郷の懐かしい人々でしょうか。

 1942年5月13日の「いとしい追憶」では「わたしの影」が翔ぶイメージを打ち出しています。春のソウルの停車場で、プラットホームに影を落とす詩人はたばこをくゆらします。
 
 わたしの影は たばこの煙の影を流し
 鳩の群が羞じらいもなく
 翼の中まで陽に晒らして、翔んだ。

 春が過ぎると、東京郊外の下宿部屋で、詩人は自分自身を「希望と愛のように懐かしむ」。ソウルの詩人は停車場近くの丘にさまよう。詩人は一時、東京韓人YMCA宿舎に入り、次に個人の家に下宿しました。東京郊外の下宿で、ソウルに想いを馳せたのでしょう。

「――ああ 若さは いつまでもそこに残れ」。

 25歳の詩人は、ソウルの停車場で「希望と愛のように汽車を待ち」続けるのでしょうか。

 1942年5月12日の「流れる街」では、霧も街も車も、「あらゆるものが流れ」ます。その中に、街路灯だけが消えずに光っています。光る街路灯に、詩人は友の姿を見ようとします。

 ぼうっと光る街路灯、消えずにいるのはなんの象徴か? 愛する友 朴(パク)よ!そして金(キム)よ! きみらはいまどこにいるのか? かぎりなく霧が流れているのに、

 霧が流れ、電車も自動車も流れる街で、「憐れむべき多くの人々」を眺めながら、「愛する友」と「また心こめて手をとりあおう」と呼びかけます。

 1942年6月3日の「たやすく書かれた詩」では、「他人(ひと)の国」の「六畳部屋」に暮らす詩人が、大学生活の合間に、幼友達を思い、詩人の天命を思いながら、「ただひとり思いしずむ」。

 人生は生きがたいものなのに
 詩がこう たやすく書けるのは
 恥ずかしいことだ。

 六畳部屋は他人(ひと)の国
 窓辺に夜の雨がささやいているが、

 灯火(あかり)をつけて 暗闇をすこし追いやり、
 時代のように 訪れる朝を待つ最後のわたし、

 わたしはわたしに小さな手をさしのべ
 涙と慰めで握る最初の握手。

 最後のわたしがさしのべた小さな手は、愛する友と心をこめて手をとりあうことができたでしょうか。
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