2016年01月22日発行 1412号

【第2回「オール沖縄会議」で工事阻止へ】

闘病生活を経て

 15年1月ごろから首のあたりにゆで卵のようなこぶができた。細胞検査をしたが、よく分からない。全部切除しても細胞が炎症を起こしていて原因が分からなかった。血液内科に診療科を変えて悪性リンパ腫であると判明した。2月に逮捕されて引きずられた時も、つぶされないようこぶだけを守った。1月から胃が痛み、4月には旗竿を持つのも難しいくらい痛くなった。4月20日、病院で検査すると胃が真っ赤に炎症を起こして、熟したザクロが3〜4つ刺さっているようだった。胃を切除することも覚悟したが、胃がんではなかったので切らなくて済んだ。

 なかまに説明する間もなく翌日から入院。現場は大混乱しただろう。だが、平和運動センター、県統一連、平和市民連絡会の3団体の当番制で行うというなかまたちの英知には感服した。やれる範囲でやろうという気持ちがうれしかった。

 機動隊とぶつかるのは誰でもできる。現場で一番苦労するのは、大混乱する前に引き上げるタイミングだ。群衆が混乱するとマイクの音が聞こえない。だからと言って緊張感のある場面がなければ腰砕けの運動と見られる。その駆け引きが難しい。

 私が機動隊と対峙するときは、隊長に、「先にあなたたちが下げるなら、俺たちは下がる」と駆け引きもする。そこでまず私と隊長が下がる、その次に部隊が下がる、というように緊張関係を保ちながら、現場を混乱させないようにする。機動隊のごぼう抜きにあった場合でも、機動隊の正面から一度引かせて、反対側の道路に戻り、再度隊列を整えてから座り込む。

 また、整然と座り込むよりも道路に数十メートルに渡り縦一列に寝ころぶと、排除するのに運ぶ距離が長いため、機動隊は一番嫌がる。伝家の宝刀≠セ。「そこまでするなら道路に寝ころぶぞ」と機動隊と駆け引きをする。そのような機動隊とのやり取りは、慣れや経験が必要となる。

 そのため、退院してからも機動隊との対峙がある6〜9時までの早朝行動だけは現場に参加し、その後の集会は当番に任せている。

 もともと沖縄には「基地の県内移設に反対する県民会議」という革新・労働組合の共闘組織があった。そこに、県知事選を闘うために自民党などの保守層や民主党のリベラル層、経済団体などを加え、さらに広範囲の広がりを持つ「島ぐるみ会議」が14年7月に発足した。

「オール沖縄会議」の結成

 島ぐるみ会議は個人の参加を主体としていた。県知事選を闘う上ではよかったが、辺野古の闘いは各組織・団体を含めないと闘えない。現地の闘いを創り大きな集会などを行うには調整力と指導力が問われる。島ぐるみ会議を発展させ闘争主体を確立するために、オール沖縄の闘う体制の確立が呼びかけられた。そして議論は急激に煮詰められていった。

 しかし、会議の要となる事務局長は身体を張った仕事だと分かっていたため、人事が難航した。結成予定の12月14日に間に合わないのではないかと思われたが、自治労沖縄県本部の現委員長の稲福弘さんに働きかけ、引き受けてくれることになり、無事「オール沖縄会議」が発足できた。

 前副委員長である私は平和運動センター議長、現副委員長の大城悟さんは平和運動センター事務局長として辺野古現地に張りついている。現委員長はオール沖縄会議の事務局長、前々委員長は同事務局長代行、前委員長は連合沖縄会長。今回の人事について組合員から「労働組合って何ですか。辺野古だけですか」という質問が出た。役員として残っているのは書記長しかいない。そこで稲福委員長が「書記長、後は頼む」と言うと大嶺書記長は「任せてください」と応えてくれたという。私は後輩の決意を涙を流して聞いた。この自治労沖縄県本部の決意により九州地連が動き始めた。今度は自治労中央が動き出すよう期待したい。

 島ぐるみ会議は、オール沖縄会議に包括されたが、訪米活動や新聞などへの意見広告は継続して行う。また県内のすべての市町村に島ぐるみ会議ができた。これまで各市町村の島ぐるみ会議は横のつながりがなく、ばらばらに行動していた。今回、オール沖縄会議の「現地闘争部」に位置付けられた。中部の10市町村は木曜に、残りの市町村は水曜に大行動を行うことが確認された。

 今後、さらに週3日行動が必要になる。火・水・木曜日と週のど真ん中を止めれば、工事は計画通りにはできない。計画の見直しを迫られると知事の新たな承認が必要となる。

         (続く)

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