2016年02月19日発行 1416号

【沖縄・辺野古新基地阻止/建設後押しの「和解案」に怒り/内外の連帯の輪を大きく】

千人が知事を激励

 辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる代執行訴訟の第3回口頭弁論を迎えた1月29日。宜野湾市長選でオール沖縄候補が敗れた悔しさを吹き飛ばすように、福岡高裁那覇支部前で行われた知事激励事前集会には前回を上回る約1千人が結集した。集会に参加した翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事も辺野古反対の民意を背に「強い信念を持ちながら頑張りたい」と決意を表明した。

 今回は、慎重審理を希望する県側から申請した9人の証人が採用されるかどうかが焦点となっていた。最終的に翁長知事(2/15)と稲嶺進名護市長(2/29)の2人のみ採用となり、想定される中で最悪の結審は免れる形となった。

 しかし、この日注目を集めたのは裁判閉廷前のことだった。「和解を勧告いたします」―多見谷寿郎裁判長から突然の和解勧告がされた後、非公開で協議が行われ、内容については裁判所からの指示で口止めされるなど異例の事態となった。

 後日、明らかになった裁判所からの和解案は「根本的な解決案」と「暫定的な解決案」の2つ。「根本的な解決案」は県が埋め立て承認取り消しを撤回し、新基地を建設後、国が30年以内の返還を米国に求めるか軍民共用にするか交渉する内容だ。一方、「暫定的な解決案」は国が代執行訴訟を取下げて工事を止め、県と再協議を行い、再協議がまとまらない場合は国があらためて違法確認訴訟を起こすことを促す内容だ。

 軍民共用とは、文字通り軍と民間が共同で飛行場を使用する危険極まりないもの。30年という条件をつけたところで米軍の運用が最優先とされる米軍基地が返ってくる確約があるわけもない。いったん基地が造られたら、辺野古・大浦湾の海は死滅するとんでもない内容だ。

 この案は、1999年、当時の稲嶺恵一県知事時代に15年の使用期限の条件で計画されては消えた案の焼き直しだ。これまで積み重ねてきた沖縄の民意を何ら踏まえず基地建設が前提となっており、多くの県民も呆れ返っている。

 県側としては「知事の公約に反する」内容であり、国側としても「基地の使用期限は簡単にのめるものではない」と両方とも受け入れない姿勢で、実際国側は和解案に否定的な見方を示している。

 国と県が真っ向から対立している時の裁判所による和解勧告は、一見歩み寄りを呼びかけているようで全く問題の解決にはならない。直接的ではないにせよ、国側の基地建設推進を裁判所が後押しする内容となっている。識者からも「たらい回し」「当事者双方が主張していない案を裁判長が持ち出すことは理解に苦しむ」など解決につながらない、と多くの疑問の声が上がっている。断じて受け入れられないものだ。

強まる切り崩し攻撃

 佐喜真淳(さきまあつし)氏の宜野湾市長当選を機に、安倍政権は一気に「辺野古移設正当化」キャンペーンとオール沖縄切り崩しを狙っている。菅義偉(すがよしひで)官房長官は選挙翌日の会見で「オール沖縄は実態と大きくかけ離れている」と述べ、中谷元(げん)防衛相は「移設事業推進のために市長に理解と協力をいただく」と強調した。島尻安伊子沖縄相は「危険性除去と全面返還を求める声が辺野古移設に反対する声に勝った。知事が民意を大切にするなら辺野古移設にも選択肢に」と平然と暴言を吐く始末だ。

 当選した佐喜真市長もそれに呼応し、1年以上休眠状態の普天間飛行場負担軽減推進会議を「ゆゆしき問題」として県から政府に再開を求めるなど、あたかも翁長知事に問題があるかのように描き出そうとしている。しかし、元凶は危険性を放置してきた日本政府であり、問題のすり替えもはなはだしい。

首都圏行動に稲嶺市長も

 キャンプ・シュワブゲート前では、抵抗のシンボルとしてゲート前に積み上げていたコンクリートブロック1400個が1月末機動隊によって名護警察署敷地に撤去された。海上ボーリング調査も終盤にかかり、陸と海での攻防は激しさを増している。

 だが、座り込み現場に米メディア「ワシントン・ポスト」紙や映画『沖縄うりずんの雨』を製作したジャン・ユンカーマン監督が訪れるなど、沖縄の実態をしっかり見ようと国内外から足を運ぶ人が絶えない。県外では、辺野古基金共同代表を務める映画監督の宮崎駿氏があらためて辺野古反対を表明。創価学会有志から辺野古反対署名活動が開始されるなど、新たな動きも出ている。

 2月21日の辺野古埋め立てに反対する首都圏アクション国会大包囲には稲嶺名護市長も参加し、辺野古連帯の輪をと大きく呼びかける。(A)



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