2016年02月19日発行 1416号

【天皇フィリピン訪問/政治イベントとしての「慰霊の旅」/日・比軍事同盟への地ならし】

 「両陛下の念願だったフィリピンへの『慰霊の旅』が実現した」−−1月末に行われた天皇のフィリピン訪問を日本のメディアはこのように報じた。しかし、天皇の外国訪問の背景には当然ながら日本政府の意図が働いている。今回の「慰霊の旅」も然り。それは安倍政権が狙うフィリピンとの軍事同盟への地ならしであった。

「和解」のセレモニー

 「友好親善深めた『慰霊の旅』」−−1月31日付の読売新聞社説は天皇訪比をこのように総括した。今回の訪問は「先の大戦の記憶を深く胸に刻み、戦没者の慰霊を続ける天皇陛下の強い思いを体現」したものであり、過去の戦争と真摯に向き合う天皇の姿は「フィリピンの人々の心に、強く焼き付けられたに違いない」というのである。

 フィリピンの戦争犠牲者に深く頭を垂れる天皇、フィリピン側からは感謝と友好のメッセージ−−たしかに、今回の天皇訪比は「和解」のためのセレモニーであった。ではなぜ、そのような政治イベントがこの時期に必要とされたのだろうか。

 端的に言うと、フィリピンとの軍事同盟づくりのためである。昨年6月に日本を訪れたアキノ比大統領は、自衛隊が将来的に南シナ海で活動する場合を想定し、フィリピン軍の基地を使うことを認める「訪問軍協定」(VFA)の締結に向けた議論を始めたいとの意向を示した。

 すでに、海上自衛隊とフィリピン海軍は南シナ海で共同軍事演習を行っている。フィリピンと中国が領有権を争う南沙諸島近くに海自のP3C哨戒機を投入した訓練だった。この4月には中谷元・防衛相がフィリピンを訪れる予定だ。海自機の供与を視野に、両国の防衛相会談で詰めの協議をするとみられている。

 このように、日比両政府は中国をにらんだ軍事同盟づくりを急いでいる。自衛隊がフィリピンに事実上「駐留」するとなると、現地の世論対策が必要だ。フィリピン民衆の心に刻まれた「野蛮な侵略者・日本軍」のイメージを払拭しておかねばならない。

 このミッションを成功に導く外交的切り札が天皇の訪問、「フィリピン慰霊の旅」であった。むき出しの歴史修正主義者である安倍晋三首相には不向きな仕事を明仁天皇が担ったのである(安倍だったら、祖父の岸信介が整備した旧日本軍戦死者の慰霊施設での追悼行事を優先しただろう)。

マニラ市街戦とは何か

 1月末という訪問時期にも理由がある。現地の日本大使館から「2月は避けてほしい」との要請があったという。2月はマニラ市街戦の月だからだ。天皇が出発前の「お言葉」で言及したマニラ市街戦とは何か。それは「太平洋戦争における日本軍の戦争犯罪の頂点として、南京事件とならんで指弾された事件」(中野聡・一橋大学教員)であった。

 マニラ市街戦は1945年2月3日より1か月間続いた日米両軍の戦闘である。マニラ「死守」にこだわった日本軍は、官庁・病院などの建物や民家を陣地化して徹底抗戦をはかった。無防備都市を宣言して総退却する選択をしなかった。このためマニラ市街は徹底的に破壊され、住民約10万人が巻き添えとなって死亡した。

 米軍の無差別砲爆撃による犠牲者も多かったが、それ以上に日本軍による組織的虐殺によって多くの人びとが命を奪われた。背後の敵となる恐れがあると見なされた住民(男だけでなく、女性や子ども、老人も)が市内の各所で殺された。中立国スペイン国籍の聖職者・民間人も殺戮の対象となった。

 また、女性に対する組織的性暴力も多発した。たとえば、ベイビューホテルの事件である。日本軍はマニラの中心にあるエルミタ地区の女性たち数百人をベイビューホテルとその近くのアパートに監禁し、強姦をくり返した。被害者にはフィリピン女性だけでなく、アメリカ、イギリス、スペイン、イタリアなど欧米諸国の女性たちも含まれていた(林博史・関東学院大学教授の研究による)。

消された「慰安婦」デモ

 旧マニラ市街地の一角に「メモラーレ・マニラ1945」という彫像が立つ。市街戦から50年の1995年に、惨劇と被害者たちの記憶を後世に伝えるべく有志が建てたモニュメントだ。除幕式のミサで、シン枢機卿は「殺し、強姦し、屠殺した者たちがその罪を認め赦しを乞いますように」と祈りを結んだという(週刊朝日2月12日号)。

 このように、フィリピンの人びとは日本軍の蛮行を忘れてはいない。「謝罪」とは言えない天皇の言葉ぐらいで、その傷が癒えることはない。侵略戦争の反省皆無の男が首相となり、再びフィリピンに軍隊を送ろうとしているのだからなおさらである。

 天皇訪比中の1月27日、フィリピン人の元「慰安婦」らが大統領府近くで抗議集会を開き、日本政府に公式謝罪や補償の実現などを訴えた。デモ参加者は「日米のアジア太平洋軍事同盟に反対」「VFA反対」などのプラカードを掲げて通りを歩いた。

 だが、日本のメディアは例によってこの集会を黙殺した(朝日新聞と東京新聞がベタ記事で報じたのみ)。政府が描くストーリーにそぐわぬ事実は伝えないということか。戦争政策に奉仕する国策宣伝機関というほかない。 (M)



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