2016年03月18日発行 1420号

【福島事故の真相と責任暴く/津波対策の必要性を認識、事故回避は可能だった/東電旧経営陣を強制起訴】

 東京電力福島第一原発事故で、昨年7月の東京第五検察審査会の起訴議決に基づき、検察官役の指定弁護士が2月29日、東電の旧経営陣3人(勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長)を業務上過失致死傷罪で強制起訴した。

不当な不起訴を覆す

 原発事故の刑事責任をめぐっては、被害者でつくる「福島原発告訴団」(以下、告訴団)が12年6月に勝俣元会長らを告訴・告発。東京地検は13年9月、津波は予測できなかったとして、捜査対象の42人全員を不起訴にした。

 これに対し市民から選ばれた検察審査会は14年7月、勝俣元会長ら3人を「起訴相当」と議決。地検は再捜査の結果、15年1月に再び不起訴とした。だが、別メンバーによる検察審査会が7月に、「起訴すべき」と議決。3人は強制起訴されることになった。

 指定弁護士による「公訴事実の要旨」によれば、(1)被告人らには自然現象により原子炉の安全性が損なわれないよう防護措置を講じる注意義務があった(2)被告人らは、O・P(小名浜港工事基準面)+10bの敷地高を超える津波の襲来で電源や冷却設備の機能の喪失によって炉心損傷等の事故が起こる可能性を予見できた(3)だが適切な措置を講じず、原発を停止しないまま漫然と運転を継続した過失により、13名に障害を負わせ、双葉病院の患者44名を避難によって死亡させた。

 告訴団の海渡雄一弁護士は、この裁判は「法的には難しい点はなく、事実に関する争点が重要である」と述べている。

 ポイントは、予見可能性(敷地高を超える津波が来ることを予見できたか)と結果回避可能性(対策を講じていれば被害を防ぐことができたか)の2点だ。

津波の予見は可能だった

 前者については、東電自身が08年3月にO・P+15・7bという、敷地高を超える津波をはじき出している。これをどう見るか。

 武藤は、この試算は「仮の試算」にすぎず「実際には来ない」と思っていたと弁解し、勝俣も「報告はなく、緊急に津波対策が必要と認識していなかった」と責任を否定している。だが、これはウソだ。

 昨年6月に、東電株主代表訴訟の場に東電の社内資料(08年9月に作成)が提出された。そこには、「地震本部の知見(後述の「長期評価」のこと)を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波を考慮せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記されていた。東電幹部たちは「津波対策は不可避」と認識していたのである。

 政府の地震調査研究推進本部が02年7月に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下、「長期評価」)は、福島沖を含む日本海溝沿いでの大地震の可能性を指摘した。

 東電は07年12月時点でいったん「長期評価」を取り入れる方針を決め、09年6月には耐震バックチェック(安全性の再評価)を終える計画を決めていた。津波水位の試算(その結果15・7bを算出)は、防潮堤の高さを決めるためのものだった。08年6月にはその結果と共に約10bの防潮堤が必要であることが武藤に報告された。

 ところが、翌7月に「方針の転換」が行われた。武藤は耐震バックチェックを「長期評価」ではなく、土木学会の「津波評価技術」に基づいて実施するよう指示。最終報告を当初予定より6年半も遅い16年1月まで引き延ばした。

背景に安全より利益優先

 この方針転換の背景には、老朽化した原発に多額の費用をつぎ込むことを惜しみ、原発を止めざるを得なくなる事態を恐れたという事情がある。安全より利益優先≠フ経営方針の下、津波対策は先延ばしにされたのだ。

 もし試算に基づいて10bの防潮堤が設置されていたならば、大津波による全電源停止・過酷事故は防げた。仮に完成が間に合わなかったとしても、工事期間中は運転を停止し、浸水を前提にした津波対策(電気系統の設備を高台に移すなど)を施工していれば、今回のような大惨事には至らなかった。結果を回避する可能性は存在した。

 運動と世論の力が実現した本裁判の意義は、東電と政府・検察が隠蔽してきた事実を暴き、福島原発事故の真相(東電旧経営陣の過失責任)を明らかにすることにある。それは、全国各地で闘われている原発賠償訴訟にも大きな展望を与えるに違いない。
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